貧しい人に、週1日無料で診療する医者に


                       若い胸像は何を見ていたのでしょう
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                                           子ロバを用いる (中)
                                           マルコ11章1-11節



                               (2)
  2節の、「まだだれも乗ったことのない子ろば」という言葉は、強調された言い方です。まだ誰も座った事がない子ロバであり、それが繋がれているのです。それをほどいて連れて来なさいと言われたのです。

  イエスは、その生涯の一番重要なクライマックスに、色々経験済みのプロでなく、いわば素人であり、初心者、うぶな者を用いられたのです。人間なら、素人でも、多少は心構えを話して聞かせることもできるでしょうが、相手が動物では致し方がありません。出たとこ勝負です。

  だがそのようなうぶなものを、用いられたのです。うぶです。初めて人に乗られて、子ロバはびっくりして飛び上ったかも知れません。少し歩いたがヨタヨタしたでしょう。それでも少しずつ慣れて、オリーブ山の平らな山麓を歩く中でどうにかうまく歩けるようになったでしょう。だが、エルサレムに入城するには、一旦オリーブ山を下り、再び登らなければなりません。今は自動車道ですが、結構急峻な場所もあります。そこでこけたらおしまいです。人を乗せていれば足を折るかも知れません。だが平坦な所でしばらく慣れたロバの子は、坂道を両足でうまく調子を取りながら、徐々に歩けるようになっていたでしょう。

  ここを読むと私は、私たち一人一人は、まだイエスをお乗せしてことがない子ロバかも知れないと思います。むろん中には、自分は長年イエスをお載せする子ロバだったという方もおいででしょう。だが私を含む多くの方は、神のため、イエスのためにまだ献げ切ったことがない存在。洗礼を受けて何年かなる。いや何10年にもなる。だがこれまで一度も献げ切ったことがなく、イエスの大切な御用のためにお仕えした事がない存在なのではないかと、そう思っている方もいらっしゃるでしょう。だが、献げ切る時に、自分の力を越えて歩むことが可能になります。ブラック企業のようなものに捧げ切っちゃあならないです。そういう愚かなことで人生を無駄にしちゃあならないです。だがこのお方に捧げ切る時、神の不思議な力が与えられて、バランスを取って進むことが出来るのです。後から考えれば、そこには神の働きがあった、聖霊がお支えして下さったのだとしか言えないようなことが起っています。

  イエスに用いられる時に、ああ、これでいいんだと私たちに心の平和が訪れます。また人生の喜びを知ります。人生とは何か、魂の方向性、その目的を知るからです。私たちの本当の源はどこにあるかを初めて知るからです。私自身、サラリーマンをやめ、約45年の牧師生活でそれを色々な場面で味わって来ました。これは人間の業では決してありません。ただ神の憐れみであった。神のお導きであったとしか言えません。

  お芝居の俳優さんの事はよく分かりませんが、一人前になってその持ち味がすっかり発揮されるには、一皮むけるというか、生まれつき持っていた殻が一旦壊されなければならない。いや、2度、3度と殻が破られなければならないようです。殻が壊されると、自分から自由になれるし、人からも自由になる。私たちの場合は、神の前に自由にされて自分を発揮して生かされるのです。

  この春休みに、久し振りに九州から4年生の孫が独りで飛行機に乗って来まして、本人が行きたいというので皇居前とか、国会議事堂の中の見学に行きました。

  この子は、無論まだ夢物語ですが、医者になりたいと言っているそうで、どうして医者になりたいのか聞きました。そしたら、1つは、週に一日、お金を払えない人たちに無料で診療する医者になりたいからというのです。ヘエ、そんな高い志を持っているんだとびっくりしました。そして2つ目と言って、恥ずかしそうにしまして、小さい声で、お金も沢山儲けたいからと言いました。案外、こっちの方が本音かもしれませんね。

  人の将来の事はどうなるか分かりませんが、ただ、私は10才頃に将来どうなりたいという事など全く考えませんでしたから、どこの遺伝子だろうかと思っています。

  それはともかくも、神はまだ誰も用いたことがない子ロバを、ご自分のために用いられるのです。子ロバはどこにいるのか私たち人間の目には窺い知ることは出来ません。そんな中で、私は、自分がイエスに用いられようとしているのか、自分のためだけに自分を使っているのでないかと、孫を通して、神から問われた気がしたのです。「主がお入り用なのです」とは、私たちに主イエスが呼びかけておられる言葉ではないでしょうか。主がわたしをご入り用だと言っておられる。これは実に大きなこと、真剣に考えるべきことです。

  先々週は、狭い門より入れというみ言葉を学び、先週は、「求めよ、門を叩け」という事を学びましたのに、本当に自分は狭い門から入って、主に用いて頂こうとしているのか。自分は、主に用いて頂くために、門を叩き続けているかと問われたのです。


       (つづく)

                                         2017年4月9日



                                         板橋大山教会 上垣 勝




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