悪評を浴びても好評を博しても


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                                          君の内に住む神 (下)
                                          Ⅰコリント3章16-23節


                           (3)
  最後に21節以下は、「だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」とありました。

  この春中国の大学を卒業し、4月から北大の大学院に進む青年がここにおられますが、内村鑑三の、「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために」という有名な言葉は、22節から生まれたのかも知れません。これが下敷でしょう。

  「全てはあなた方のもの」です。私の手足や体はむろんですが、家族も友もです。知力も努力もそうですが、この世界も今生起している事柄も、将来起こることも、一切は私たちのもの。私たちに授けられたものです。私たちを取り巻く環境、人々、社会、一切は私に与えられているものである。何か自己中心の考えに聞こえますが、そんな事を言おうとしていません。私たちはキリストのものであり、キリストは神のものであると語っているからです。それをどう用いて行くのか、私たちに責任があります。

  いずれにせよ、一切は主なる神に収斂(しゅうれん)していく。神に属し、神に帰って行く。すべては神によって成った。成ったものの内、一つとして神によって成らなかったものはなかった。だから一切のものは、神に根差し、神から発し、神へと収斂していくのである。誇る者は主を誇るべきで、自分を欺いて自分を誇ってはならないと語ります。

  彼が3節で、「私はパウロにつく、私はアポロにつく」と語って、「妬みや争いが絶えない」コリントの人たちについて語りました。彼らは自分を握りしめて離そうとしない所に問題がありました。それに対してパウロは、人生と世界の根源的なものに目を向けています。そこから目を離しません。そして、それら一切のものの要は何かを明らかにします。

  それは「神の栄光のために」という生き方です。彼は第2コリントの手紙の中で、「栄誉を受ける時も、辱めを受ける時も、悪評を浴びる時も、好評を博する時にも、神の仕えるものとして、その実を示したい」と語ります。彼ほど好評を博し、悪評を浴びた人も少ないと思います。しかし彼はいかなる状況の中でも、神の栄光のためにという一事を目指して生きたのです。

  私たちも実社会で生きる時、躓きを与えられる場面が色々とあります。だが心をキリストに向かって高く上げて、悪評を浴びても好評を博しても、栄誉を受けても、辱められても、ただ神の栄光のために生きるという根幹をもって揺るがないことが大事です。人を意識的に出し抜こうとせず、追い落とそうとせず、また良心を操作して服従を強いず、もっと高い視点をもって生きるのです。

  足を掬おうとする人もいたりします。だがそこでも主を信頼し、恐れない事が大事です。最後的に信を置ける方がいますことを信頼して、励むのです。

  この手紙の15章の最後でパウロは、「堅く立って動かされず、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならない事を、あなた方は知っている筈である」と勧めています。次の1週間も、堅く立って動かされず、一人一人が励まされて進めるように祈りましょう。主に在って、私たちの労苦は決して無駄にならないのです。

         (完)

                                         2017年3月12日


                                         板橋大山教会 上垣 勝




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