国会のアダムとイヴ


                      都心の民家(目黒雅叙園)    右端クリックで拡大
                            ・

                                          君の内に住む神 (中)
                                          Ⅰコリント3章16-23節


                           (2)
  次に、「だれも自分を欺いてはなりません」とあります。自己欺瞞を避けなさい。自分の良心に反する言行をしてはならないとの勧めと言えます。ただ、これは誤解されやすい言葉です。自分の良心に反することをするなという事と、感情に駆られて我意を貫くことは、似て非なるものです。自分を欺かないということは、感情を直接ぶつける直情型の人間であれと言う勧めではありません。人の心は複雑で欺きも色々な形を取りますが、自分の心を欺くために意図的に感情をむき出す場合もあります。

  次の18節の中程からは、この世の知者と本当に知恵がある者を比較して、真に知恵ある者になるために、世の知恵によらず、世から見て愚か者になれと勧め、「この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。『神は、知恵のある者たちを、その悪賢さによって捕らえられる』と書いてあり、また、『主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを』とも書いてあります」と語ります。

  横道にそれますが、イギリスは世界的な自然保護運動の発祥の地です。現地でそれを見たいと思いますが、イギリスの自然保護運動は何と日本の明治初期にまで遡ります。

  今は賢さの時代です。経済的賢さや科学的賢さの時代ですが、自然保護運動の根幹は、「世の知恵によらず、愚か者になれ」という事だと言ってもそれほど間違いがないでしょう。それが20世紀末から徐々に発言権を持つようになって来たのです。

  名前はご存知の方がおられるでしょう。ワーズワースという世界的な詩人がいましたが、田園を愛した彼は実に愚かでした。彼は、イギリスの今日本でも人気の湖水地方に住んでいましたが、そこに鉄道敷設計画が生まれると猛反対したのです。170年前です。その30年後に再び計画が起こると今度は思想家のラスキンが反対します。その後、ラスキンの教え子であるローンズリーという牧師が本腰を入れて自然保護運動を行い、湖水地方すべての鉄道計画を撤回させることに成功しました。ピーター・ラビットのビアトリクス・ポタ―も強力な担い手でした。彼女は最後に広大な土地と財産をすっかり寄贈しています。

  彼らは「湖水地方の番犬」と呼ばれました。亡くなった高木仁三郎さんなどはそう呼ばれていいと思いますが、今の日本で断じて政府に原発を造らせない「原発の番犬」がいて欲しいと思います。それはとに角も、イギリスの彼ら番犬たちの運動がナショナル・トラスト運動の始まりになり、ずいぶん遅いですが日本にも近年になって運動が入って来ました。

  驚くのはイギリスのナショナル・トラストは東京都の面積より広いことです。海岸線の1千数百キロをナショナル・トラストが管理しています。ナショナルと言いますが国家でなく、国民の意味です。国に任せず、有志の年会費でイギリスの大事な広大な土地や建物を管理しているのです。有志と申しましたが、現在350万人近くが会員です。近年、なぜこれだけも急増したのか。それはアニメなどインターネットのバーチャルな世界でなく、本物自体に触れたいという強い願望が反映しています。

  このナショナル・トラストの下準備があって自然保護の世界的ブームが起こり、それがあるのでイギリスは誇りを持って世界から観光客を迎えることが出来ています。わたしが申し上げたいのは、このナショナル・トラストや自然保護活動は、人の賢さでなく、愚かさから発したもの。神の愚かさに根差した考えであるという事です。

  19と20節はヨブ記詩編の引用です。悪賢さとあるのは、ずるさ、巧妙さ、抜け目なさ、こすさのことです。また論議とあるのは、計算や打算のことです。空しいとは、空論、役に立たぬの意味です。

  主なる神は、失敗や罪によってではなく、むしろ知者の一番得意とする抜け目なさ、こすさによって捕えられる。こすさは後日、必ず明らかにされる。だから私たちは正直であり、人のずるさやこすさに屈せず、たゆまず信仰に生きよと勧めるのです。主が事の真相を知っておられるからです。

  アダムとエヴァ(イヴ)は知恵の木の実を食べて目が開かれ、自分が裸であるのを知って、慌てていちじくの葉を綴り合わせて腰に巻いた。自分の裸を、破れを隠したという創世記の物語りは、人のずるさの真相を実によく表現しています。彼らは自分の裸を誤魔化し、他に責任転嫁しました。今の国会の審議場面を注意して見ていると、そこに何と多くのアダムたち、エヴァたちがいるかに驚きます。聖書の話は数千年前のことでなく、国会議事堂で今ヴィヴィッドに起こっていることです。国会にはアダム、エヴァがうようよしていますが、神は必ず知恵によって知者を捕えられるのです。

(つづく)

                                         2017年3月12日


                                         板橋大山教会 上垣 勝




  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif



                               ・