くそみそに牧師や教会をやっつけた


                         リヨン美術館(34)         右端クリックで拡大
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                                                神の愚かさ (中)
                                                Ⅰコリント1章18‐25節



                              (2)
  そして自ら知者、賢者を任じているが、「彼らは自分の知恵で神を知ることが出来なかった」、「神は世の知恵を愚かなものにされたではないか」と語られ、世の知恵である哲学や科学などが神の存在を証明したり、神の奥義を究めたり出来なかったとパウロはいうのです。パウロは2千年前の人ですが、現代人の走りと言えます。彼は神話や伝説、また人の作った偶像を拝むなど、当てにならぬものに頼らない新しい時代の人物です。

  こうして彼は、「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」と語るのです。神はこういう手段で人を救うことを喜びとされた。そこに人の賢さにまさる神の愚かさがあると、非常に逆説的に語って行きます。

  そして、「 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」これは「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリスト」であり、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」と語ったのです。

  大胆な論法です。彼は福音宣教の愚かさを自覚している人でした。福音は愚かである。人の知恵ではない。人の作文ではない。なぜなら神はご自分の一人子を十字架に磔にするまで人を愛された。これは賢いギリシャ人には全くの愚かなことですし、因習的にゲンを担ぐユダヤ人には躓きになります。救い主が磔にされた何ていう事を宣べ伝えるのは、愚の骨頂、愚かさの極みだというのです。

  だが、神は知者の知恵を滅ぼし、彼らの傲慢を砕くために、愚かな手段によって信じる人々を救う事とされた。ここに神の愚かさがある。パウロは何ら悪びれず、堂々と胸を張って神の愚かさを述べたのです。

  なぜ哲学や高度な知的なもので人を救おうとされないのか。哲学的なものでは、キリストの十字架の中心的なものが抜け落ちるからです。キリストと言う人格が現実に地上を歩きまわり、実際に迷える者を救い出し、ザアカイのような友なき者の友になり、ゲラサの狂人のような自分を傷つける者を救い出し、隣人になり、十字架上から敵のために執り成された愛の事実が抜けてしまうからです。それは哲学理論に解消できません。人を励ます理論や、癒しを与える心理学にも解消できません。歴史の中で生き、地上を這われたイエスの具体的な生きざまに救いは根差します。それが抜ければ、いかに耳触りのいい言葉であっても、人が作った気休めの作文に過ぎません。

  繰り返しますが、十字架に磔にされるという事は、一見、敗者の姿です。ユダヤ人にすれば、それは神の呪いの証拠です。敗者のキリストを信じるのは滑稽です。馬鹿です。だからギリシャ人は嘲ったのです。だが神は、この一見馬鹿げた手段によって信じる者を救おうとされ、キリストは狂気とも見える愚かさをもって私たちを愛し、私たちの罪も過ちも、神の愛を止めることは出来ないまでに愛を貫いて下さったのです。誰も自分を誇る者がないためです。十字架の愛の愚かさに徹されたお方に真摯に耳を傾ける人が生まれるためです。信仰に生きる真実な人が生まれるためです。

  青年時代に月2回、何年も薫陶を受けた鈴木先生は天才肌の上、口の悪いやんちゃな人で、こういう人の真似は出来ないとその後私は長く敬遠していましたが、「宣教の愚かさ」とか「神の愚かさ」という事で妻から鈴木先生の話が出て、本を取り出し読み直しました。今日は「著作集」からやや長く先生の話をさせて頂きます。

  60年代半ばに教団議長をし、任期の途中で膵臓がんで亡くなった鈴木正久牧師です。父親が先ず洗礼を受け、すぐに教会に行かなくなり、後から母が洗礼を受けて終始教会に通い続けます。牧師が誰であろうが教会がどうあろうが一貫して信仰を貫いた方で、この母から多くのものを学ばれたようです。

  だが先生は小学1年の時、1度だけ教会に行きますが、心の底から嫌になった少年でした。牧師は口先では優しそうだが腹の底は陰険だと思ったのです。また日曜学校の教師が話すことは気抜けしていて、別にそんな事を覚えても意味がないと思った。それに教会はなま温かく、生ぬるい、気持ち悪い所という印象を持ち、キリスト教に大反対になり、冷笑的な父でさえ、「正久、お前の言うのは酷すぎるぞ」と咎めるほど、くそみそに牧師や教会をやっつけたそうです。

  父が病気になり両親の郷里に帰りますが、母と姉たちはそこでも教会を見つけて通い続けます。教会と言っても畳部屋に座布団を敷いて礼拝をしている所です。そんな中、姉にしつこく誘われて15才頃にもう1回行きますが、そこでSさんに出会うのです。Sさんはその教会の牧師の長男で、病気で家に帰っていた所でした。ところがその教会で、一言で言えば真実なものが先生の心を強く打ったのです。真実です。それが先生に信仰を覚醒させます。

  Sさんは先生より10才ほど年上で、田舎の高等小学校を出ただけで小学校の代用教員を暫らくしたが、頭がいい青年だと言うので、ある人が東京のある家の書生に世話し、Sさんはそこで働きながら、早稲田の工手学校に1年、次に青山の中学4年に編入、翌年1高理科に入り、東大の工学部に入ります。だが2年の終わりに肋膜炎になって家に戻って来た。そこへ鈴木先生が行ったわけです。1年程して大分健康を回復し、東京に戻る支度をしていた朝、顔を洗っている時、腰が抜けて倒れてしまった。脊椎カリエスになっていたのだそうです。その後はいつ見ても以前と同じ木綿の着物に兵児帯、いがくり頭で、会うたびにいつも静かにほほえんでいた。そして病気が一進一退し、結局4年後に亡くなるのです。

  Sさんが亡くなる1年程前…先生が夏休みに帰省すると、教会に一風変わった人が来ていた。日曜の朝礼拝に来て、終わっても帰らず座ったままである。牧師の家で昼食をよばれ、夜まで同じ所に座っている。夕食も牧師宅で世話になる。それから夜の集会が終わり、集まった者がお茶を飲んで話している間一緒にお茶を飲み、皆が席を立ち最後の一人が帰る時に腰を上げて帰途につく。年令は30才位の労働者。一緒にいても一言も話さない。言わば精神薄弱者だったと書いておられます。町から8キロほど離れた天竜川べりの町で、河原での砂利取りが彼の家業でした。

  先生の夏休みの間、雨で仕事が出来ない日は教会へ来て、一日中黙って座っている。当時その牧師の家ではSさんの弟が病気になり、姉も病気になって子どもを1人連れて戻っており、あれやこれやで牧師夫人も過労で倒れそうであった。先生は、口に出さなかったが、この男に腹を立てたそうです。

  夏休みの終わり頃、いつものように日曜の夜の集会が終わり、彼も腰を上げて帰ることになった。土間の降り口にかがんで古びた兵隊靴に足を突っ込んで靴紐を結び掛けていた。だが精薄の機能障碍からか、手先がうまく動かず紐が結べない。先生は下駄をつっかけ、聖書と讃美歌を小脇に抱えて彼の頭の上から見下ろしていた――。

  その時、何かいい気味だと言う気分がしたことを何十年後もありありと憶えていたというのです。愚かな性格や罪は隠そうともひょっこり顔を出すんですね。ところがその時、Sさんがカリエスでコルセットを嵌めていたが、座敷から出て来てその人の後ろから土間に飛び降り、彼の足元にうずくまって兵隊靴の靴紐を結んでやったのです。先生の前で、Sさんの木綿の着物の背中が屈んでいた。先生は感心するより「親切の度が過ぎる」と思ったそうです。自分が尊敬するSさんに靴紐を結ばせて、相変わらずよだれでもたらさんばかりに間の抜けた顔で、ゆっくり立ち上がって歩き出す彼に、ますます腹が立つ気がしたと言うのです。

  その数カ月後に帰省すると、教会にはあの男の姿が見えなくなっていた。Sさんは既に寝た切りになっていた。「あの人はどうしたんですか」と牧師さんに尋ねると、牧師さんはどんなことでも淡々と話す人で次のように話してくれた。

                              (3)
  「先日、あの人夫の父親が訪ねて来た。……

     (つづく)

                                            2017年1月8日




                                            板橋大山教会 上垣 勝




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