イエスの系図に秘められた意味


                         リヨン美術館で(24)         右端クリックで拡大
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                                                    共におられる神 (上)
                                                    マタイ1章18‐25節


                              (1)
  いよいよ来週はクリスマスです。今年のクリスマスは、祝会に寸劇が加わり、中国人青年である転入会者のAさんの歓迎もあり、来週が楽しみです。

  さて、今日の聖書はイエスの長い系図に続いて、「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」とありました。

  先ずこの系図ですが、これは旧約聖書新約聖書に橋をかけるものです。荒川をまたいで東京と埼玉には多くの橋が架けています。物流や関係を密にするには橋が必要です。場所だけでなく、近世の江戸時代から近代の明治にかけても橋が必要でした。そのために戦争も混乱があり犠牲者も出します。大きな隔てを乗り越える色々な橋が必要ですが、この系図で旧約から新約への橋が架けられたのです。

  実際の系図はもっと多くの代があった筈ですが、主要人物だけが上げられています。そうでなければ17節にあるような、青首大根でも切るかのようにこんなにうまく14代、14代、14代と区切れないでしょう。実際の人類の歴史は何かの理念では括ることはできません。

  聖書ではアブラハム以来の系図は旧約全体を代表し、このマタイに記されますが、アダム以来の系図は人類を代表していて、ルカ福音書に書かれています。そして人類の全歴史はイエスによる救いへと向かい、このお一人に流れ込んで収斂して行き、やがてこの方から救いが12弟子へ、そして全世界に、全人類に広がって行くと語っているのです。新約の冒頭で系図が置かれるのは、旧約が何千年にも渡って待望して来たのは、このお方だと系図を通して語りたいのです。マタイ福音書ユダヤ人のために書かれたと言われますが、この系図があるのでイエスの福音はユダヤ人に非常に馴染み深いものになったでしょう。

  イエスは神と人間の間に橋をかけられた方です。罪ある私たちと救いの間に確実な橋をかけるために来られた。これが系図の語ることです。

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  今日は系図が中心でないので詳しく申しませんが、系図に色々な人が登場します。濃淡色々な度合いがあるとは言え、例えば豊臣家の系図とか徳川家の系図のように都合悪い人は省き、立派な人だけを留めるのでなく、ここに何人ものユダヤ人にとって都合の悪い人や罪人も出て来ます。タマルやルツがそうです。また例えばダビデ王は立派な人物で、どんな日本人でも名前は知っているでしょう。貧しい者や虐げられた人に憐れみ深く、国民に絶大な人気があり、国を隆盛に導き敬愛され慕われました。だが、そんな人気絶頂の彼の足元に罪が忍び込んでいました。彼はバテシバと密通し、その事実を闇に葬るために彼女の夫を部下の手で殺させ、大罪を犯します。その事を、「ウリアの妻によってソロモンをもうけ」とサラッと書いています。ダビデの問題も指摘し省かないのです。

  彼は謙遜な人でしたがこういう罪があり、情に脆い所もありました。その子のソロモンは海外貿易を盛んにして利益を得、華やかな宮殿に700人の妃を侍らせ、300人の側女(そばめ)を置きますが、そこから王国のほころびが始まり、王国は2分して長く苦しみ、やがて滅亡します。外からでなく内側から崩壊して行くのです。

  系図にはアブラハムを始め錚々たる族長が登場し、ダビデやソロモンなど15人の王たちもいますし、英雄、有名人、権威者らもいます。だが、その錚々たる傑出した系図からイエスが生まれたと述べるのではありません。一見素晴らしい系図だが、中は腐っていた。巣入りの大根みたいに外は立派でも、中は救いようもなく病んでいた。すえたガスがあちこちから発生しています。そのためかつては神に選ばれた人たちであったが亡びた末に、歴史の深い闇に没し、大海の藻くずとなって打ち捨てられて行ったのです。ヨセフはその末裔のしがない一介の大工です。

  ところが、その救いようのない過去を持つ人たちの流れに、キリストが入って来て下さったと告げるのです。とんでもない姿を持つ人たちの所に来て、一緒に並んで歩いて下さったと語るのです。

  系図が語るのはそれだけでなく、これを読む私たちの親や先祖も、いい所もあるでしょうが、どんなに醜く悪い系図であっても、キリスト教ではそんな事は言いませんがたとえ前世の因縁が甚だしくても、イエス系図がそうであるようにたとえ人殺しや女たらしの先祖、悪習を断ちきれない親たちの先祖をもって生まれた人であっても、闇の中を歩く時も愛の神はあなたと共におられると告げるのです。キリストを信じるなら、あなたの新しい歩みは今日から始まると告げるのです。

  ある人は、イエス・キリストは丸い円に接する接線だと言います。丸い円はぐるぐる回って永遠に廻り続けても円から外に飛びだせません。だが一旦、円に接線が引かれると、そのごく僅かな一点である接点から接線に乗って外に飛び出せます。キリストは罪のグルグル回り、輪廻と言ってもいいですが、輪廻から私たちを引き出し、神の国に向かって救出して下さるのです。キリストはアブラハムダビデだけでなく、人類の系譜の中に飛び込んで来て、言わば池に溺れた人を飛び込んで救出するように私たちを救い出して下さるのです。それが福音です。

        (つづく)

                                            2016年12月18日



                                            板橋大山教会 上垣 勝




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