もう何ともならないと諦めないで


                        リヨン美術館で (23)         右端クリックで拡大
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                                                   アドベントの喜び (下)
                                                   フィリピ4章4-9節


                              (2)
  パウロがフィリピの信徒たちに、「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と呼びかけるもう一つの根拠は、「主はすぐ近くにおられます」という所にあります。

  これは、「主は近くにおられます」とも訳せますが、原文は「主はすぐに来られる」とも訳せる文章です。もし「すぐに来られる」、すぐそこまで、間近に近づいておられると取れば、パウロは主の裁きが近いと考えているのです。即ち、主は再び来て、「生ける者も死ねる者も」全ての者が裁かれるから、喜びなさいと勧めるのです。生者も死者も、誰も彼も公平に、昭和天皇も東郷もヒトラーも皆この裁きの下にある。それは絶対免れえない、片寄りのない、正しい裁きです。だから益々確信を持って、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」というあり方が可能になるのではないでしょうか。

  今日はアドベント第3週です。アドベントは主のご降誕を待つ期間です。だが同時にこの時は、主の再臨を待つ期間でもあります。「主はすぐに来られる。」再臨が近い。だから一度来られた主を待ち、再び来られる主を待つ、2重の意味で再臨の主を待つアドベントは喜びの時であるから、「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と呼びかけられるのです。

  言葉を代えて言えば、どんな状況が訪れても、私たちは、喜びを持って何事かを為すべき余地が必ずあると言う事です。針の穴のようにどんな小さな穴でも開けられれば、そこから堤防の決壊が始まるでしょう。ましてや「主はすぐに来られる」のです。主の勝利を思え。そしてすべての人に向かって心を広くしなさいと勧めるのです。

  パウロは少し前の2章14節で、「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」と書いています。この世には邪まで曲がった所が一杯あります。現状を知れば知る程、気が重くなりがちです。しかし罪の故にひん曲がったその世の中で、あなた方は命の言葉、聖書の御言葉を堅く持って、星のように輝いている。そこが大事だ。それを大事にして生きなさいと励ましたのです。

  フィリピの人たちもパウロと同じく、血を吐くような中で喜びあふれて信仰を守り通したのではないでしょうか。

  暫らく前に、アメリカに新しい大統領が選ばれたことに関して、オバマさんが家庭で2人の娘さん達に語っている言葉を紹介しましたが、その時ご紹介した事だけでなく他にもこう語っていました。

  娘さん達にこう話したのです。社会も文化も実に複雑で少しも数学的に割り切れる世界でない事。人間の世界は生物学や化学に近く、生きて活動する有機体であって扱い難(にく)いものだという事。そういう中で、一市民として恥ずかしくない行動をしようとするなら、いつもはっきりものを言い、人々のために声を上げ、親切と尊敬と理解を持って人に接することが大事だという事。また自分の中に頑固さが燃え上がる時には、素早く先手を打ってそれを打ち負かさねばならない事。その手を緩めてはならず、胎児のように受け身に自分の頑固さに屈してはならない事。そして「もう世の終わりだ」と心配し始めるのでなく、「オッケー、私が前進し続けることができる場所は、必ずどこかにある」と自分に言い聞かせなさい。こう語っていたのです。

  ここには闇に語らせることも、闇に耳を傾ける態度もありません。複雑で取り扱い難い現実を見ながら、まるで主が近くにおられ、主はすぐに来られるかのように、若い娘さん達が今、どう生きるべきかを語っています。そしてここには、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」と言うトーンさえ聞こえて来るような気がします。

  人々は何とかしなければならぬと焦燥感を抱き、もう終わりだ、何ともならないと諦め始めている中で、「いや、必ずどこかに今も前進できる場所があるのだ」と自分に言い聞かせる。これはアメリカ人だけでなく、日本人にも、更に世界の良識ある人たちに今こそ求めれていることです。それは決して容易な事ではないでしょう。魂の戦いが要ります。ことによったら血を吐くような闘いが待っているかも知れません。

  それだけでなく、あまり大統領を持ちあげると嫌がる人もいるかも知れませんが、8節、9節の勧めさえ暗示しているように思います。パウロはこう語りました。「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」

  闇に語らせてはならないのです。それに耳を傾けてはならないのです。何度も自分に言い聞かせ、それに耳傾けないようにと決意しなければならないでしょう。そして、気高い事、正しい事、清い事、愛すべき事、名誉な事、徳や称賛に値することなどに目を向けるべきなのです。

  なぜなら最後的には、気高い事、正しい事、清い事などとあることが勝利するからです。神が最後的に正しく決着をつけて下さるからです。そのようなあり方で生きれば、平和の神が共におられ、最後的に思い煩いでない生活が待っているでしょう。

  そしてパウロは更にこう言います。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

  このアドバイスは万人に勧められる言葉でしょう。思い煩いから色々な愚痴や不満が生まれ、私たちの心を蝕(むしば)み、侵食する色々な暗いニヒルなものが出て来ます。それらは実際にあるでしょう。だがそれらを一切神に打ち明けるのです。自分の心にしまっておかず、打ち明けなければならない。じっと我慢していつまでもしまっていると鬱になりかねません。十字架の前に持ち出し、そこに置くのです。すると、人知を超えた神の平和が、心と考えを支配するのです。

  「あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって守る」とありますが、これはびくともしない守備隊が堅固に町を守ると言う意味です。平和があなたの心も考えも守ってくれるのです。

  ここに集った皆さんの上に、また暫らく休んでおられる方々の上にも、主キリストの平和が留まり、心と考えが守られるように祈ります。


      (完)


                                            2016年12月11日



                                            板橋大山教会 上垣 勝




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