150枚の手書きの手紙


                 テロ―広場に建つリヨンの市庁舎。騎馬像はアンリ4世。   右端クリックで拡大
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                                                 聖なる者たち (上)
                                                 Ⅰコリント1章:1‐3節


                              (序)
  今日から暫らくコリントの信徒への手紙を取り上げたいと思います。月に2度ほどの割でここから福音を聞きたいと思いますが、この他にルカ福音書が最後の章に入っていますが、それも続け、その後は別の福音書に入りたいと思っていますので、コリント書は数年かかるかも知れませんがゆっくり進みましょう。

  15章には死人の甦り、復活の事が出てまいりますので、復活の学びを楽しみに、お年を召した方々もひとつ長生きして下さい。若い方々のために愛の書簡と言われる13章も待っています。息が続けば第Ⅱの手紙にも入りたいと考えています。2つの手紙には素晴らしい個所が幾つもありますから、皆さん長生きしましょう。と言ってもお召しが来れば、「また、天国でお会いしましょう」と、お互いに手を振って、笑ってお別れしたいと思いますが、出来るだけ皆揃って第Ⅱの手紙の終わりまで辿り着きたいと思います。

                              (1)
  さて、「神の御心によって召されてキリスト・イエス使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ」とありました。9節までは序言であり、今日の所はパウロと同労者ソステネからの挨拶です。

  パウロは多くの手紙を書きました。コリントだけでも上下29章にわたる膨大な手紙です。この他にコリント人に2つの手紙を書いたと言われています。皆手書ですから、原稿用紙に直せば日本語なら150枚を越えます。それほど彼はコリントの信徒たちを情熱を込めて愛し、叱咤激励したのです。しかもこの他にも色々な教会に書簡を認(したた)めています。日本では浄土真宗蓮如も「御文」と言って手紙で檀家教育をしていますが、その1500年ほど昔、パウロは驚くほど精魂込めた手紙を幾つも書いて信徒教育をしたのです。

  コリントはローマ帝国第2の国際的商業都市で、人の出入りの激しいセカセカしたせわしい町で、アカイヤ地方の首都でした。ギリシャ多神教の諸宗教が群がり、住民は誇り高い魂を持ち、傲慢で、不道徳の街としても天下に名を轟かせていました。そういう都市にパウロによって教会が生まれますが、彼が去ってから、教会の中にも社会に蔓延する色々な問題が入って来ました。結婚や不倫問題、売春婦との関係、また教会をかき回すユダヤキリスト者たちによる分裂問題、復活やキリストによる自由と解放の問題、偶像への供え物や弱い人と強い人の問題、男女の違いの問題、その上、教会とは一体何かなど、色々な問題が入り込んで来て教会が大揺れに揺れることもありました。その教会をキリストの教会として立てて行くためにパウロが奮闘して送ったのがこの手紙です。エーゲ海の対岸のエフェソから出され、第Ⅱの手紙はエフェソの獄中から出されたものと思われます。しかしここには、愛の書簡と呼ばれる美しい手紙や、復活や聖霊の働きについて述べたものも含まれています。

  パウロは、「神の御心によって召されてキリスト・イエス使徒となった」と語ります。神の御心とは神の究極的な意志です。彼は神の呼び掛けを聞き、自分のような者を愛して下さる神のお心、意志を強く感じたのです。それでキリストの使徒になるように呼び出されたというのです。

  ここに彼は、自分は誰か偉い人によって使徒とされたのでなく、また自分の意志で使徒になったのでなく、神の究極の御心によって使徒として立てられた者で、神の愛のメッセージを託され、神の権威を持って遣わされた者であると言いたいのです。

  この挨拶の部分で既に、コリント教会においてパウロ使徒としての職、使徒職を疑問視する人たちに答えているのです。彼は、神の招きの呼びかけを聞き、自分を愛して下さる神の究極の御心を確信したので、かなり前から使徒として活動し始めたのですが、パウロは12弟子ではありませんし、青年時代はキリスト教会を激しく迫害した人物です。そういう人物がキリストの使徒と名乗れるのかという重い問いかけです。これは彼の心臓を貫くほどの鋭い問いで、彼はその問いから逃げず、これらの問いにも向き合って答えて行きます。

  ただその問いの背後には、パウロが説いている福音がどうのこうのと正面切って問題にせず、それ以前に彼の影響力を弱め、彼を追い出して、自分たちがパウロの座に取って代わりたいという人間的な隠れた悪しき意図が見え隠れしていました。そういう醜い意図は殆ど表の世界に出て来ません。しかし背後に隠れて一番重要な要因として力を奮っていることが現実社会に多々あります。そういうものとも戦っています。

         (つづく)

                                            2016年10月9日




                                            板橋大山教会 上垣 勝




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