彼の勇断


エス様はブドウ作りもワイン造りも知っていたでしょう。カナの婚礼の極上ワインは花婿の自家製だったかも。
 で、実験: 用意は採れたて無農薬巨峰1kg、ペットボトル、100均漏斗、ワイン・イースト、ボールなど。
   完全無農薬だから洗わず仕込み、ワイン酵母も不要。13%にするにはイエス様はむろん砂糖を使った筈。
         ただ日本では1%以上の自家製ワインは固く固くご法度。
            1%何て、香りは良くてもそんなに興奮しませんでした。
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                                                  ただ一人の勇断 (中)
                                                  ルカ23章50―56節
 

                              (2)
  さて50節に、「ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て…」とありました。

  彼はエルサレムの北西約50キロにあるアリマタヤ出身で、神の国を待ち望んでいる高潔な人物でした。「善良」とあるのは、その本性が善良なことです。最高法院の議員ですが、長いものに巻かれず、党派に組せず、良識的に個々の問題を判断し、貧しい人や虐げられている人を差別せず公平に接する人であったのでしょう。イエスの処刑について「同僚の決議や行動には同意しなかった」のです。

  こういう高潔な人物が社会にいるかどうかが大事です。もし都議会や幹部職員にこんな人物が何人かいて、勇を決して事実を隠さず語れば、もっと前に真剣に豊洲市場の問題は取り上げられたのではないでしょうか。残念です。

  アリマタヤのヨセフの高潔さはメッキではありません。彼は「神の国を待ち望んでいた」とあります。待ち望むとある原語は、見張りつつ待つという意味で、どんなに真剣に神の国、神のご支配に心を寄せていたかが分かります。ここに彼の筋が通った人柄が窺われます。彼は真理を求める厳格な求道的魂を持った人物だったのでしょう。

  19世紀にブルームハルトという人がいました。彼は牧師館の庭に、いつでも出掛けられるように新しい馬車を用意して神の国を待っていたそうです。尋ねられると、「主イエスが再臨される時、これに乗って直ちに駆けつけるためです」と真顔で答えたのです。遊びでなかった。彼はそれほど本気でキリストを待っていた。愚かな人物に見えますが、彼は色々な領域に通じた知識人でした。

  息子のブルームハルトも父の信仰を継ぎ、父と同様、「イエスこそ勝利者である。意気消沈するな。気をしっかり持て」と多くの人を励まし、イエスに全幅の信頼を置いて地に足付けて生きました。彼は牧師であり政治家でもありました。彼ら親子はカール・バルトなど20世紀の多くの神学者たちに多大な影響を与えました。

  アリマタヤのヨセフは、神の国を待ち望み、良識を持って公平に生き、「同僚の決議や行動には同意せず」、一人勇気を持って「ピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出」て許可を得ています。これは凄いと思います。

  この50節をギリシャ語で読むと日本語訳と語順が全く違って、「見よ、ヨセフという名の議員がいた」となっていて、ヨセフの勇断に目を見張り、驚きを持って彼のことを書いているのが分かります。

  私は若い時は、ヨセフはイエスが処刑される前にもっとはっきり反対を唱えるべきであった。彼は弱く、ズルイ人間だと思いました。しかし今は、このままで彼の信仰の行動は凄いと思います。

  彼は物々しい警戒のピラトの官邸に行き、勇気を奮って直談判し、許可されると、「遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた」のです。彼は公然とイエスのシンパであることを表明したのです。イエスに関わらずにソッとして置くことも出来ますが、敢えて申し出て自分の墓に納めたのです。

  墓は、自分のために用意していた新たな墓です。裕福な人ですからちっちゃな墓ではなかったでしょう。墓には入口があり、重い石の扉があり、何mかの前室が設けられ、奥に棺を納める玄室と言われる主要な部屋があります。墓一基のために相当かかったでしょう。今なら1千万円かそれ以上でしょうか。そのお墓を十字架で処刑された言わば国賊のイエスのために提供した。一般のユダヤ人にも公けになれば、何をされるか分かりません。その勇断に改めて驚きます。そこまで彼は捧げた。

  遺体を「亜麻布で包んだ」とあります。亜麻は高地で育つ一年草で、柔らかな高級な織物を織るために栽培されます。亜麻布で包んだことで、イエスをどんなに慕い、大切に思い、恭しく取り扱ったか。彼の熱い思いが現われています。

  昔、東北にいるころ盛岡のある先輩牧師が2,400CCだたかの豪華なセドリックに乗っていました。当時かなりの高級車で座席が広々して乗り心地良く、乗っただけで良い気分を味わいました。するとその牧師が笑いながら、「中古車ですよ。教会役員が新車を買うのでこれをボクにくれたんです」と自慢しているのか、詰まらないと言っているのか分からない言い方をしながら、「韓国では、牧師に中古車をくれる信徒は誰もいませんよ。中古車でなく新車を買ってくれるからです」と言ったのでびっくりしたことがありました。

  新車を欲しい訳ではありません。日本と韓国の信仰者の態度の違いを思いました。彼らなりに腰を入れて教会をになっているのです。ヨセフはイエスの遺体を丁寧に亜麻の布に包み、堅固な岩を掘って造った自分のためのお墓に納めたのです。

       (つづく)

                                            2016年9月18日



                                            板橋大山教会 上垣 勝




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