これはあなたの母


         リヨンの山上に立つ白亜のフルヴィエール大聖堂は約140年前の建設    右端クリックで拡大
                               ・



                                                  足元に宝が隠されている (下)
                                                  マタイ13章44節


                              (4)
  明治のキリスト者に植村正久という人がいますが、面白いことを言っています。ヨハネ福音書19章26節をご覧下さい。ここに、イエスは十字架の上から弟子のヨハネに、ご自分が去った後を思って、母マリアを託されたとあります。「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」愛する弟子とはヨハネです。今日は先程、敬老祝福式がありましたが、青年ヨハネはイエスから託された年老いたマリアを世話することになったのです。

  20代の青年が、50代の、当時ならかなりの老婦人の世話を仰せつかった訳で、複雑な思いだったでしょう。

  ヨハネはその兄と共に、「ボアネルゲス」雷の子と言われるほど才気煥発、人並み外れた雷のようなエネルギーと決断力と行動力を持っていました。兄弟そろって意欲的で、他の弟子に負けじと、将来はイエス左大臣、右大臣になりたいと願い出たことさえあります。ですから、ペトロでなく彼こそ12弟子のトップになる人物であったと言われることもあります。彼はイエスにことのほか愛された弟子であったし、それに実力を備えていますからそうなっても当然です。だが彼の名前は、使徒言行録の最初辺りには出て来ますが、忽然(こつぜん)といずこかに消えてしまいます。

  なぜか。理由は母マリアを頼まれたからです。だから他の弟子たちと一緒になって宣教の戦いに参加できなかった。イエスは一家の長男として、自分なき後の母の事が案じられたのでしょう。でも頼まれたヨハネの方は実に迷惑千万です。弟子集団を率いて活動できる男なのに、それに専念できず、大舞台から退いて足手まといな老マリアの面倒を見て暮さなければならない。彼は泣いたかも知れません。才能も行動力も才気煥発な志の大きい現代の男子なら、きっと悔しくてならないでしょう。女性だってそうでしょう。彼はイエスの「愛する弟子」とあるのに、実際はイエスから愛されず、冷や飯を食らったのか。どうしてヨハネにこんな試練を与えられたのか。試練を喰らったことがあるあなたも何故だと思うでしょう。

  ヨハネ21章24節を見ると、「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている」と書かれています。この弟子とはヨハネです。即ちヨハネ福音書の主要な部分をこの弟子ヨハネが書き、それを後の人々が編集して福音書を著したと言う事を述べています。

  今、申し上げたいのは、イエスが母マリアをヨハネに託したのはヨハネ福音書を書かせるためであったのです。確かにこの福音書にはイエスの内面や父なる神との密接な関係、イエスの心にあると思える思想的な事柄、そして母マリアとイエスの関係など――カナの婚礼の話しもそうです――、興味あふれることが細かく色々出て来ます。こういう事はマタイやマルコやルカの追随を到底許さぬものです。実に活き活きと緻密にまた適切な比喩を用いて書いています。

  植村は、これは母マリヤと同居したお蔭でないかというのです。マリアは考え深く、心に気付いたこともすぐに口に出して言う人でなく、しばらく心に留めて思い巡らす人でした。だがヨハネの家族と食卓を共にしたり、秋の夜長などの団らんの際に、マリアがしんみりイエスのことを語り出すのを聞いたに違いありません。長男を亡くした母は、どんなにか懐かしく息子のことを語ったことでしょう。内省的な人であったればこそ、一旦語り出せば、静かな語り口で次から次へと思いが湧いて来て話が尽きなかったでしょう。

  夫ヨセフを早く亡くしたマリアは、長男に掛けて来た筈です。その長男は若くして父に代わって小さい弟妹の多い一家を懸命に養いました。羊飼いをし、ブドウを育て――私も巨峰を育てていますね――、パン種を入れてパンを焼き、牛たちが負い易い彼らの首に合うくびきを作ったり、そんな色んな方面の手仕事をしていた息子のことに話が行ったでしょう。

  単純に考えれば、ヨハネはお荷物を抱え込んだのです。だがそれはヨハネ福音書という素晴らしい福音書が誕生するためでした。彼は才能も実力もあり、意志力も強い将来有望な青年でしたが、マリアを負って世に埋もれてしまうかに見えて、埋もれたように見える場所で、最も後世に影響を残す福音書を著すという貴い仕事をしたのです。イエスはそれを見越して母を預けられた。そこに神の深い摂理があります。摂理とは予め見る、プロヴィデオ―と言う言葉から来ていますが、神は予め見ておられたのです。

  ミルトンが「失楽園」を書いたのは失明後です。失明したが、彼も足元に宝が隠されていることを証ししたのです。ヨハネは老いたイエスの母という一見お荷物を背負わされたが、心を込めてお世話し、世に埋もれた風に見えつつ福音書を著す準備の時となったのです。星野さんもそうです。デコボコ道でこそ、「チリーン」と鳴る美しい鈴の音を聞くことが出来る。首の骨を折り、手足も体も動かせず、寝返りも打てない体を引き受けながら、今も、人生のデコボコ道で「チリーン」と鳴る美しい音色を、東村を舞台に聞いておられます。

  私たちも、人生のデコボコ道だからこそ聞ける鈴の音を聞き逃してはならないでしょう。もし聞き逃すなら、それは自分の人生を逃すことになるかも知れません。

      (完)

                                            2016年9月11日

                                            板橋大山教会 上垣 勝




  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif



                               ・