誰にも届いている神の恵みの手


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                                                  神の似姿を生きる (中)
                                                  ルカ6章27―36節


                              (2)
  ここには2種の生き方が言われています。1つはならず者の道です。神が要求されることを行なわない者たちです。彼らは(と言ってもそうでない人が多くありますが)、仲間には親切にし、進んで挨拶もします。だがそうでない人には挨拶をしなかったり、挨拶されてもまともに挨拶を返さなかったりと冷たい。

  人間の永遠に変わらぬ特徴は、白と黒の2つのグループに分けることです。万国共通です。自分の仲間と仲間でない人たち。むろん同じ仲間でもAさんには好意を持ち、Bさんには馴染めないという事はあります。しかしこれが原因で相手を無視し、批判し、拒み、敵意を抱くなら、それが分離の原因になり、大きくなれば戦争の原因にもなるでしょう。

  だが、イエスは別の道を示されました。それはこの世の道や世間の道でなく、神の道です。今日の所で言われているように、これは、感謝しない、邪まな、不愉快な人々、仲間でない人々にも親切にするという所にその本質があります。

  だいぶ前に、神はインパサブルであられるということを申しました。インパサブルとは平気である、無感覚であるという事でした。「蛙の顔に小便」とも申しました。神は、私たち人間の神に対する態度に平気であられ、人がどう神を扱おうと、あらゆることにおいて愛を貫かれる方だという事でした。「私の思いはあなた方の思いと異なり、私の道は、あなた方の道とは異なる」と神は言われます。人がどう応答するかで態度を変えられません。「善人の上にも、悪人の上にも、太陽を昇らせ、雨を降らせられる」とイエスは言われました。人の態度で、頭に来たり来なかったりする感情的な私たちと違います。

  イエスのメッセージが新しいのは、単に神は慈しみ深いという事ではありません。そういうメッセージは旧約の預言者イザヤが55章で既にしています。イエスよりも約500年前です。新しいのは、神の慈悲や愛でなく、人は神の似姿として形づくられている故に、慈しみ深くあることが出来る、愛することが出来るという事です。(テゼ聖書注解参照)。

  イエスヨハネ13章で、「わたしがあなた方にした通りに、あなたがたもするようにと、模範を示した」と言われたのはそのためです。神の似姿として造られた私たちに模範を示された。またパウロがガラテヤの信徒たちに、「あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする」と書き送ったのも、やはりこのためです。

  キリストが模範になり、敵をも愛するキリストの形があなた方の内に生まれるようにとの祈りです。

  創世記2章には、神は粘土の土のような何の価値もないものを捏(こ)ねて固めて人を造った。そして命の息を吹き入れられた。すると生きた者となったと書かれています。非常に含みの多い物語りです。私たち人間は、この全身に血液のように神の命の息が行き渡っているのです。私たちは誰でも、仏教徒ヒンズー教徒も、無宗教の人も神の恵みの御手に触れられていない部分はないのです。私たちの存在全体が、神の恵みの憐れみで成り立っている。しかもその私たちに隣人を連れて来られたとあります。隣人を与え、隣人と出会い、隣人と響き合って生きるように造って下さったのが神です。動物ではその代用は出来なかったとも書かれています。犬や猫とは真の響き合いが起こらない。これも意味が深いです。これが聖書で語られている人間です。

  イエスは、私たち人間は神の似姿であり、神の似姿として神にかたどって造られているので、必ずあなたは隣人に慈しみ深くあることが出来るし、愛を持って生きることが出来ると言われるのです。神の似姿を全身に宿す者として、敵を愛し、私たちを信用しない者や仲間でない者や悪口を言う者は中々手ごわいですが、彼らにも善をなし、見返りを期待せずに与えることが出来る者として造られていると励まされるのです。

  イエスが、「私があなた方に模範を示した」とおっしゃるのはそういう意味まで含みます。「あなたは雄々しく、強くあれ」とは、強くあることが出来るという意味です。「あなた方は地の塩、世の光である」とは、あなたは地の塩、世の光であることが出来る。そういう人として造られたのだという意味です。神の手は長く、そこまであなたのために伸ばされているという事です。

        (つづく)

                                            2016年8月28日



                                            板橋大山教会 上垣 勝




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