犯罪者とイエス


            ひとっ飛びで、もうレマン湖。右にジュネーブの町が現われました。   右端クリックで拡大
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                                                   犯罪者とイエス (下)
                                                   ルカ23章39―43節



                              (3)
  イエスの言葉は何と慰めに満ちたものかと思います。これは私たち万人に向けても語られているものでしょう。「心配するな。君は、今日、私と一緒にパラダイスにいる。神が、私と一緒に君も迎えて下さるだろう。私は、誰でも幼子のようにならなければ神の国を見ることは出来ないと話して来たが、君はあれほど重い過去を担って来たにも拘わらず、今、子どものように正直になり、素直な心になって私に願った。案ずるな。私と一緒に、今日、君は救いの内に入れられることは確かだ。」

  話しは飛びますが、ルカ15章には3つの譬えが語られていました。失われた1匹の羊の譬え、失くした銀貨の譬え、最後に放蕩息子の譬えです。

  最初の譬えでは、「一匹を見つけるまで、探し回らないだろうか」とイエスは話されました。今、イエスは十字架の先まで上って行って、失われた1匹の羊を探されたのです。そこには2匹いたが、一匹はまだ時が熟していなかった。それで今、その1匹の羊を見つけて、喜びの余り肩に抱いて神の国に帰られるのです。

  第2の譬えでは、ドラクメ銀貨を失くせば、見つけるまで念を入れて探さないであろうかとあります。そして譬えの最後でイエスは、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがあると言われました。

  イエスと一緒に、今日、み国に入れられる時、彼らを迎える神の天使たちの間に大きな喜びが起こるに違いありません。一人のキリスト者が地上に誕生する時にも、この喜びが天にあります。

  そして最後の放蕩息子の譬えでイエスは、父親にこう言わせておられます。「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのである。」まさにこの犯罪人は死んでいたが生き返ったのです。

  これらのことから私たちは考えさせられます。地上がすっかり闇で覆われたかのように見えても、闇が勝利するのではありません。暗い社会の中で多くの人が絶望的になっても、決して絶望ではありません。光の神がおられます。モーツアルトは美しい音楽を作りました。それらは天上の音楽にたとえられますが、彼はネガティブな音よりも、ポジティブな明るい音をより強く聞いたと言います。彼の作品にたとえ闇の場面があっても、それは一時的で、その後もっと明るい希望に満ちた音楽を奏でたのです。私たちも闇の力よりも、神のご支配をより強く聞き取るよい耳を持ちましょう。イエスは、「あなた方にはこの世で悩みがある。しかし、私は既にこの世に勝っている」とおっしゃったのです。

  創世記1章1節に、天地創造の初め、闇が淵の面にあり、それを神の霊が覆っていたとあります。神の霊とは神の力に満ちた恵みの働きですが、神の恵みと平和こそ全ての闇にまさる力です。それが既に勝利しています。この世の闇の力は、神の平和の力に勝つことは決してないのです。

  障碍者たちへの残酷な事件が起こりました。「障碍者は税金がかかる」、「障害者など生きる価値があるのか」と、障碍者に対する犯人の言葉が話題になっています。犯人は覚せい剤を使用していたとも報道されています。

  確かにおぞましい事件です。しかしよく考えなければならないのは、今日も都知事選挙の投票がありますが、少し前にある施設を訪ねた人が、障害者というのは「人格があるのかね」と語ったり、彼らは「安楽死」に価するよというような発言をしていました。元都知事の発言ですよ。彼は自分が何を発言しているのか分からないのです。いや、分かって発言しているから恐ろしいのです。

  また、何とか大臣をしているその息子さんが、医療と経済に触れて、「私なら延命治療などせずに尊厳死を選択する」と発言しています。医療のコストを下げるために、寝たきりで反応しなくなった人間などは尊厳死させるべきだという意味でしょう。教育界には、「金がかかる障害児は産むべきではない」と言ってはばからない人たちさえいます。障害者に金を掛け、手間暇かけていては国際競争に勝てないという考えです。

  こういう風潮を作り出す人たちが今の日本社会に大きな顔で存在していて、それに支えられてこの犯人が行なったようなことが起こったのだと思います。ですから、犯人も問題だが、こういう事を肯定する政治家や世の風潮にこそ、真の責任があると言えるでしょう。

  ただ、こういう世の現実に目を留めると世界が真っ暗になります。だが、負けちゃあいけません。これらは闇の仕業ですが、決して闇は光に勝たないのです。神のご支配が厳然としてあり、神の恵みと平和の力は最後に勝利します。死に打ち勝たれた復活の主から希望を与えられて生きて行きましょう。


        (完)

                                           2016年7月31日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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