支えになる言葉をもつ


                            ルーブルにて
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                                               「彼らをお赦し下さい」 (下)
                                               ルカ23章32―38節
                                               詩編136篇


                              (4)
  どんなに悔しかったでしょう。私ならどんなに心がボロボロにされて落ち込み、同時に悔しさの余り彼らを激しく呪ったでしょう。「あなたは、神を呪って死になさい」と夫に勧めた、ヨブの妻の気持ちが分かります。

  ところが非情極まりない裁きを受け、ボロボロにされて十字架に吊るされながら、イエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と神に執り成し祈られたのです。

  彼らとは、民衆や議員、祭司長や役人、ローマ総督や兵士、十字架に付けた全ての者たちです。また、面白半分の見物人たちとあらゆる時代のキリストを磔にする人たちのためです。イエスは虐(いじ)められる者の典型として十字架に付けられ侮辱されているのです。そのような辛さや悲しみを経験し、泣いている人たち全てを代表して吊るされています。

  彼らを代表しながら、少しも罵(ののし)らず、脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになり、むしろ彼らのために神に執り成し、彼らにこの血の責任が及びませんように、彼らにも神の赦しが何とかして届き、彼らがあなたから赦されるようにと真剣に祈られたのです。

  一体自分を十字架に付ける者のために、ここまで祈る者があるでしょうか。だが、イエスはその人を愛し、当人以上に案じて祈られたのです。

  イエスは一体どうしてこのような深い愛を持つことが出来、他者のために執り成しがお出来になるのでしょうか。

  イエスは、公生涯を始める初期時代に、ヨルダン川バプテスマのヨハネから洗礼を受けられました。水から上がると、「あなたは、私の愛する子。私の心に適う者」という天からの声を耳にされたと記されています。十字架の上でその声を思い出されたのではないでしょうか。

  神に愛されている子。神の心に適う者。父なる神の究極的な愛がこの苦難に耐えしめ、彼らのために祈る事さえ可能にしたのではないでしょうか。

  自分にとって支えとなる神の言葉を持つこと。人生の最後的究極的な拠り所となるものを持つこと。それが私たちを支え、生涯を支えるのです。

  これは最初に申しました詩編136篇の「低くされたわたしたちを、御心に留めた方に感謝」することとも関係します。

  イエスの執り成しの祈りが、初代教会のキリスト者たちにどれ程大きな励ましを与えたかは、最初の殉教者ステパノもまた、石打ちの刑を受けて倒れていたのに、渾身の力を振り絞って起き上がり、跪(ひざまず)いて、天使のように顔を輝かし、「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と祈って息を引き取ったことからも教えられます。

  多くの人たちは、いや私たちは、心に許せない思いを宿しています。許せない思いは何もありませんか。中には、人を許せない自分が許せないゆえに、悶々とする人もあります。赦しほど勇気のいる大胆なものはありません。弱い者だから赦すのではない。これは知識を越えた神が下さる賜物です。赦そうとする思いが、再び闇の力に飲み込まれ、ムラムラした憎さに変わる時、イエスの十字架上の祈りを思い出すことはステパノ同様私たちに力を与えます。それと共に、私たちも洗礼を受けた時に、神によってヨシとされたこと、そしていわく言い難く「あなたは、私の愛する子。私の心に適う者である」という言葉を私たちも聞いた者であることを思い出すことが、闇の力を越えて行く強力な励ましになるでしょう。

  450年程前に書かれた「ハイデルベルク信仰問答」の問1と答えにこうあります。
問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。  
答  私が私自身のものではなく、身も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。
  この方は御自分の尊い血をもって、私のすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力から私を解き放ってくださいました。また、天にいます私の父の御旨でなければ、髪の毛一本も頭から落ちることができないほどに、私を守ってくださいます。実に万事が私の益となるように働くのです。
  そうしてまた、御自身の聖霊によって私に永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜ぶように、またそれにふさわしいように整えてもくださるのです。

  私たちの唯一の慰め。今日の聖書で言えば、それは、イエス・キリストが私たち罪多き者のために、今も十字架の上で執り成し祈って下さっているという点にあります。

       (完)

                                           2016年7月24日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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