カラッとした人、ジメッとした人


                      人々をひきつけてやまないミロのビーナス
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                                               「彼らをお赦し下さい」 (上)
                                               ルカ23章32―38節
                                               詩編136篇


                              (1)
  先程ご一緒に交読しました詩編136篇に、「恵み深い主に感謝せよ。英知をもって天を造った方に、…太陽を造った方に、…月と星を造った方に感謝せよ…」などとありました。

  旧約聖書ヘブライ語で書かれていますが、ヘブライ語で感謝はヤーダーと言います。ヤーダーとは、崇める、言い表わす、告白する、ほめたたえるなどの意味を持ちます。聖書は、私たちが生かされ、存在し、大空や太陽や月や星、即ち神がお造り下さった大自然の恵みの中に置かれていることに感謝を言い表わすことを大事にしていると思います。感謝は心に思い、口で言い表すこと、告白することです。それは命の根源である方が私たちのためにおられるからです。

  また、命の根源である方が自分の掛け替えない拠り所になる時、ここに語られている、「低くされたわたしたちを、御心に留めた方に感謝」することさえ起こります。そういう喜びが起こります。誰もがおめでとうと言ってくれる事だけでなく、自分が砕かれたり、躓(つまず)いたり、低くされたりという事の中でも出会って下さる神がおられることを知って感謝するという、一段深められた所から人生を生きることへ導かれるのです。

  先週もNAのミーティングがこの会堂であって、薬物中毒から回復したいと願う人たちの話を聞きました。なぜ薬中になったか。大分前に、ある関西出身の女性は、自分は人々の中に入るのが苦手で、内気でもの凄く人見知りをする。皆楽しそうに大学に通うが、自分はキャンパスにいるだけで凄く緊張する。疲れてへとへとになって帰って来る。そういう生きづらさと存在の痛みがあって、やがてギャンブルに嵌(はま)り、薬物に嵌って行ったと言っていました。人生のどん底に落ちたのです。しかしその40代の彼女が、今、薬物依存から回復したいと願う人たちのために働くようになって皆から信頼され、とてもいい働きをしています。学校から求められて中高生の前でも薬物依存の事を話しています。ここにも、「低くされたわたしたちを、…御心に留めた方」がおられるように思います。「私は道であり、真理であり、命である」とイエスは言われましたが、万事休すという中でも、御心に留めて下さる方が道を示し、道となって下さるのです。

  社会は元気で活発な、リーダーシップのある人が推奨されます。しかし社会はそういう人だけで成り立っていません。内向的な人、人と話すのが不得手な人がいますし、その人たちの中に、細やかな感情を持ち、優しく、聞き上手である人たちが多くいます。社会は陽性だけでなく、社交性に欠ける人や大人しい人。カラッとした人だけでなく、ジメッとした人からも成り立っていて、互いに補い合うように、神は私たちを全体でバランスよくお造りになっているのです。社会がこうあって欲しいと期待したり、自分はこうでありたりたいと思っても、本性がそうではないことがありますから、自分を知って先ず自分と和解することが自分らしく生きる出発点になります。

  神の創造の公平を知ると、「すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに」という所まで導かれ、視野も広げられるでしょう。詩編136篇から先ずそういう事を教えられました。

       (つづく)

                                           2016年7月24日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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