エレミヤと新約聖書


          血管の浮き立つ様子も表現した古代ギリシャレリーフルーブルで)    右端クリックで拡大
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                                             み言葉に聞く (下)
                                             詩編23篇1-6節
                                             エレミヤ23章1-6節
                                             マタイ5章13―16節
                                              ヨハネ10章11-15節


                              (4)
  以上を集約して25節以下で、偽預言者は「わたしは夢を見た」と言って、自分の夢を語るに過ぎない。結局、彼らは主の名を忘れさせ、軽んじるように仕向けるに過ぎない。

  それに対して、まことの預言者は、主のみ言葉に誠実であり、忠実に語らなければならない。それが28節です。「 夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。」誤魔化さず、水増しせず、2種の秤をもって自分に甘く、他には辛(から)くという事であってはならない。

  「もみ殻と穀物が比べものになろうかと、主は言われる。」一方は軽く、必ず吹き飛ばされ、他方は必ず実を結んでいく。30節以下は省略します。

                              (5)
  以上から考えさせられる事をイエスの言葉をもって考えると…。

  A) エレミヤが語ろうとしている事は反対側から言えば、マタイ5章の「あなた方は地の塩だ」と言う事です。塩に塩気が無くなれば、何によって塩味が付けられるか。何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、誰かに踏みつけられるだけではありませんか。自分の内に塩を持ちなさい。イエスはこう言われた。ユダ王国の指導者たちは塩味を失くし、自己中心的な富の追求の中で何か大切なものを欠落して、すっかり役に立たなくなったのです。それが問題なのです。

  必要なのは自分の内に塩味を持つこと。先ず自分が清められ砕かれることです。また、「あなた方は世の光である。」どんな小さい光であっても、主から与えられた光を掲げる。それが人生と社会の中で意味を持つのです。「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」自分が尊ばれたり、尊敬されるためではありません。ここにある「立派」とは、価値ある、尊い、善良な、美しい、気高いの意味です。立派だと言われる人になることでなく、神を仰ぐ気高さ、善良さ、価値ある振舞いです。日常の小さな業において光を灯し続ける。それをやめないのです。

  B) エレミヤが語るのは、現実社会をどう見るかということです。少なくとも現実を曲げて見てはならないし、悲観的になり過ぎてもいけない。彼は神を仰ぎつつ、現実を誤魔化さず、現実に対して語ったのです。それが28節。「わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。」み言葉への忠実、誠実、み言葉に砕かれ、新しくされて生きること。

  それは経済や富を超えたお方が存在されるからです。神と富に兼ね仕えることは出来ない。この方こそ真の牧者です。このお方の下で生き、そのみ言葉に照らして歩みを進めて行こうということです。

  ヨハネ福音書10章に、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 …わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。…」とあります。 私たちはまことの羊飼いに耳傾け、このお方について行きたいと思います。このお方こそ羊を心にかけて下さるからです。

  雇い人は狼が来ると、自分を守るため羊を置いて逃げます。狼は羊を餌にしています。良い羊飼いだけが羊の事を知っています。ところがエレミヤ当時のリーダーたちは本当に民衆を守る気概を持たず、自分の事しか考えていないのです。

  この「良い」という言葉も、気高い、善良な、価値あるという言葉です。キリストこそ、その良い、まことの羊飼です。その良い方が、交読した詩編23篇で歌われていました。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。(主こそ、まことの羊飼いです。)主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。(主が私の体と魂に休みを与え、平和を授けて下さる。) 主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。(間違った道でなく、正しい道、正々堂々と歩く道です。)死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。(人生の旅には、どの人にも死の蔭や死の谷が訪れます。)あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(時に、私を咎め、砕き、諌めてくれる鞭が必要です。)わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。(敵を前にしても、豊かな食卓と祝福を授けて下さるのです。)…」と 歌われている、まことの良い牧者です。このお方に聞いて行くのです。

  C) 暫らく前にお話した事ですので思い出しながらお聞き下さい。ヒットラーが1933年1月に政権を取るや、1カ月後に大事件が起こりました。国会議事堂炎上事件です。日本で言えば霞が関の国会議事堂が全焼する。国内は大騒ぎになり、数時間後に、国家防衛のための緊急法と言うのが発令され、基本的人権が当分の間全面停止されたのです。非常事態だという訳で、誰も反対しない中でナチの一党独裁が見る見るうちに実現します。こうしてドイツは雪崩を打って戦争に突き進んで行くのです。今、思えば、議事堂炎上事件はナチの嘘です。全くのでっち上げです。日本では違った形で嘘で戦意が掻き立てられました。政治家のつく嘘というのは昔も今も非常に怖いです。

  そんな中でも冷静に時代を見つめる人たちがいました。各地で密かな抵抗運動が起こりますが、カール・バルトと言う人がいました。彼は勇敢にも次々と自分の新しい論文をヒットラーに送ってその政策を批判しました。やがて彼は国外追放になり、スイスに帰らなければなりませんでした。

  その最後の日、長く務めたボン大学の郊外で送別会が密かに開かれ、最後の挨拶でこう話しました。暫らく前にご紹介したことです。

  今、終りが来ました。だがここでも、いやここでこそ、全く単純にみ言葉に聞き、み言葉の下に自分を置くことです。「神は高慢な者を敵とし」(ヤコブ4:6)とありますが、この言葉が我々に当てはまるとは夢にも思いませんでした。いい気になっていました。我々も主の裁きの下にあるのです。(彼の膨大な神学書は、詰まる所、単純にみ言葉に聞く、み言葉の下に身を置くということに尽きます。)

  そしてこう語りました。「我々が主の裁きの下にあることを認識するなら、そして我々が神の御手の下にあるならば、…こう確信してよいでしょう。我々に出会われる主は、決して悪しき主として出会い給うのではない事を。確かに、…み手が私たちに痛みを与えています。しかし、それが主の御手であるなら、同時に、それは、我々の下にまで降りて来て下さった主の恵みでもあるのです。その時、我々は、ヨブのように、『主の御名は誉め讃えられよ』と言う事が許されるのです。」(宮田光雄著「カール・バルト」)こう言って話を閉じたのです。

  主の裁きに服すること。その時、新しい道が開かれるのです。偽って慰めを語ったり、平和、平和と言って誤魔化すのでなく、主のみ言葉の下に服することが、地の塩として働く原点にあります。「あなた方は世の光である」とありましたが、どんなに小さい光でも掲げることをやめない。それが良い羊飼いに耳を傾けることです。

  人間的な混乱が起こると、ここには神はおられないと叫んでしまいがちです。神はおられないと思うと、自分で自分を助けようとし、却って愚かな行為が生まれ、悪も生まれ、誤魔化しも不正も深まるかも知れません。

  しかし人間の混乱は、混乱以上にはなりません。治めておられる方が存在されます。それを信じて希望を持って進む事、暗い中でも主の希望の光を見出して進むこと。小さい者への愛を忘れず進むこと。エレミヤが生きた暗い時代にも、神の前に謙虚さと誠実さを持って生きる残された民、まことの信仰者たち、預言者たちがいたのです。そして彼は、遠い将来に、まことの牧者が来られることを預言し、「その日」が来る、その日を待ち望もう。地の塩として塩味を失わずに待ち望もうと呼びかけたのです。


       (完)

                                           2016年7月17日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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