勝った、負けたで終わらない


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                                             み言葉に聞く (上)
                                             詩編23篇1-6節
                                             エレミヤ23章1-6節
                                             マタイ5章13―16節
                                              ヨハネ10章11-15節


                              (序)
  今日は明日の夏季集会に向けてお話しますので、少々長くなります。お覚悟を…お決め下さい。

  今朝は旧約預言者の一人エレミヤを中心に、イエス様の言葉も併せて学びたいと思います。エレミヤはイエス様の約600年前、南王国ユダで活動した預言者です。当時、王国は既に南北に分裂していて、北王国は約120年前に滅び、南王国は約10年後に滅亡する大転換期を迎えていて、彼は激動の時代を生きた人物です。

  エレミヤ書は、どれがエレミヤの言葉で、どれが神の言葉か、また説明文はどこまでかなど、中々見分けがつきにくいので読むのが苦労です。しかも必ずしも時代順に書かれていません。時代順に並んでいれば分かり易いが、預言が前後し、遠い将来への預言と、彼の時代への預言、また終末預言も入り混じって混乱します。

  ただこれは大事な事で、彼は彼の時代の社会を見る目と神の言葉が何百年、何千年という歴史の中で実現する未来を見る目という、2つの目で複眼的に見ています。短期的な眼だけだと勝った、負けたで終わります。また、やっぱり勢力の強い側につく方が得なんじゃあないかとその場の損得で動いたりし勝ちです。しかし長い目で歴史を見ると現実の悪の力に負けないしぶとい歩みが生まれます。神を仰ぐと、希望と勇気を授けられてしたたかに現実を担う事が出来るからです。今は具体的な日本の状況を申しませんが、二つの目を持つことの大事さをまず強調しておきたいと思います。

                              (1)
  さてダビデ以来、450年ほど続いた王国が終焉(しゅうえん)を迎えようとしていた時代に、エレミヤは、1節、「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と、主から受けたみ言葉を語ります。牧者と言っても牧師ではありません。王や祭司や預言者たち、国のリーダーたちです。彼らは民を滅ぼす牧者たちだと大胆に語った。

  また2節、「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われると申します。群れを顧みない指導者たちへの審判です。

  ただ審判と共に、3節で遠い将来の預言、イスラエルの回復が預言され、あなたたち牧者は羊を散らしたが、「このわたし(主なる神)が、群れの残った羊を、(あなたたちが)追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる」と語り、「見よ、このような日が来る」と遠い将来の日を預言します。「このような日」という言葉はエレミヤ書だけで16回も現われます。それほど彼は歴史を非常に長期的な視点で、巨視的な目で捉えて活動したのです。ここの牧者とはキリストの事を指すと言われ、キリスト預言の一つです。やがてキリストがまことの牧者として群れを集め、養い、正義と恵みの業を行なう。その名は「我らの救い」、「我らの正義」と呼ばれるというのです。ここに旧約と新約の接点があります。このことも心に留めておくべき大事な点です。

       (つづく)

                                           2016年7月17日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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