孤独において共に一つ


                          ユトリロルーブルにて)
                               ・



                                                  泣くな、私のために (中)
                                                  ルカ23章26-31節
        

                              (2)
  その途中、田舎から出て来たキレネ人の青年シモンを捕まえて、イエスの十字架を負わせました。ローマ兵は、こういう場合に民間人の徴用が許されていました。キレネとは北アフリカの町の名です。彼は遠く郷里を離れ、ユダヤで偶然通りかかった旅行者か、この町に出稼ぎに来ていた者で、彼が徴用された。エルサレムユダヤ人を徴用すれば反発を買うので、キレネ人を捕えて徴用したのでしょう。

  軍隊は何でもありです。一般人を徴用しますし、鶏、ブタ、米など食料となるものを徴発します。日本軍は中国を侵略して民家などから何でも食えるものを徴発しました。従軍慰安婦の問題も、今日の個所と無関係ではありません。

  こうして運悪く、偶然通りかかったシモンは、無理に十字架を負わされ、イエスの後から運ばされたのです。

  咄嗟(とっさ)に彼は、ローマ兵を睨(にら)みつけ反感を持ったでしょう。でも相手は武器を持つ屈強なローマ兵です。抵抗できません。実に嫌だったでしょう。誰でも嫌です。名誉とは思いません。

  ところが、自分の前を重い鎖に繋がれて行くイエスの後から従ううちに、イエスは何故ゴルゴタに向かっているのかと考え始めたのです。またこの後、十字架に磔になりながらどうして人々の罪を赦したのかと、考え続けたのです。この事件が引き金になって、十字架を負いながら考え、その後も更に考え続けた。そして彼はやがて、自分も、人々のために愛の十字架を負うイエスに従おうと考えるようになり、キリスト者になったのです。これがキレネ人シモンです。

  彼はやがてローマに移住し、妻と子どもたちに伝道し、一家を上げて主に仕える家庭になりました。驚くべきは、息子達の名前までマルコ福音書に書き留められていることで、子どもの名が書き留められているのはそこだけです。

  ローマ兵が彼に十字架を負わせました。それがイエスとの唯一の接点になりました。それからこれが契機で、もう一つの接点を持ちます。それは、前を行くイエスも後ろから従うシモンも孤独です。2人はひたすら孤独な自分と向き合っています。この孤独において2人は1つです。この点においてシモンはイエスに出会ったのでしょう。あるいはもしかすると、神が彼を弟子にするためローマ兵の心に働きかけ、彼らを用いてシモンに十字架を負わせられたのかも知れません。ローマ兵による強制でした。だがその強制が転じてイエスとの孤独の出会いの中で、恵みとなり、彼の家族のなか深くまで恵みが行き渡って行ったのです。


         (つづく)

                                           2016年7月10日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif



                               ・