虐(いじ)めとイエス


 2階建ての巨峰栽培です。今日から袋掛けを始めました。昨日、7月10日に今年初めてコガネムシが2匹来ました。
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                                                  泣くな、私のために (上)
                                                  ルカ23章26-31節
        

                              (1)
  今日は、お読み頂いた途中まで、26節から31節の所から福音を聞きたいと思います。32節以下は次回に回します。

  ここに、「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」とありました。

  「人々」とあるのは、文脈からすればユダヤ人ですが、この時代はローマ総督の支配下で、死刑はローマの仕方でローマ兵がした筈です。ですからイエスを引き渡されたユダヤ人たちがイエス様を処刑場まで引いて行き、ローマ兵が処刑したのでしょう。

  イエスはピラトの官邸から1キロ程の道を重い十字架を背負って歩かされました。現在、ビア・ドロローサ、悲しみの道と呼ばれているエルサレム旧市街の狭い通りです。逃亡しないように手足に重い鉄の鎖を嵌められたでしょう。その上に重い十字架を背負う事は、前の晩からの疲労があり、ヨタヨタしながらの歩みだった筈です。倒れそうになったり、持ち直したり、すっかり倒れたり、また渾身の力を振り絞って起き上がったりしながら、十字架を引きずって行かれたのです。

  以前にもお話した愚かな話しですが、戦後、暫らく人心が乱れていました。子ども達もそうです。私は大阪に住んでいましたが、腕白な小学生らが寄ってたかって子ネコを川に放り込んで、溺れるネコを棒で沖に何度も押しやって虐めるのです。今思うと、あれは弱い者虐めをする大人社会の反映だったと思います。泳いで岸に近づくとまた沖に押しやり、次第に疲れて頭を水から出せなくなって行きます。本当に大人社会の反映です。高学年の子はさすがにしません。その代わり、低学年、中学年の子らにやらせるのです。女の子でも進んでやりたがる子もいました。今頃どうしているのでしょう。私は男兄弟4人ですから、女の子まで面白がって棒で沖に押しやるのに驚きました。今なら警察に通報されるでしょう。子どもの心にもこんな残酷さが潜んでいるのを、幼くして知りました。

  今、その子ネコと十字架を負ってヨタヨタとゴルゴタに向かうイエスの姿がダブります。よく考えねばならぬ事は、人を虐(いじ)めるのはイエスを虐めることです。そこに行きつきます。ゴルゴタとは「されこうべ」の意味です。人を虐めるのはイエスされこうべがあちこち転がる処刑場に押しやることで、私たちは皆、言い逃れできない罪人の仲間です。

  人々は、倒れるイエスを容赦なく鞭打ち、立ってはへたり込むイエスを、無理に立たせて担がせて行ったのです。伝説ではイエスは3度倒れたことになっています。

         (つづく)

                                           2016年7月10日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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