愛と出世欲のはざまで


               ブリューゲルバベルの塔」(来日予定のオランダのもの。塔が完成間近)
                        先に掲載したものと比較ください。
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                                              バラバの釈放は何故だったか (上)
                                              ルカ23章13-25節


                              (1)
  縄を掛けられたイエスは大祭司の官邸に引き立てられ、夜が明けると最高議会で裁かれた後、先ずローマ総督ピラトの所に連行されました。それからガリラヤの領主ヘロデの前に連れ出され、それから今日の所で、またピラトの所に送り返されと、たらい回しにされました。

  そして13節で、「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう』」と提案したのです。

  祭司長と議員らはユダヤのリーダー。イエスの処刑を訴え出た者たちです。そこに民衆が加わったのは、民衆を取り込んで死刑判決を勝ち取るためです。多くの民衆は議員らに買収されたり説得されて、手のひらを返すようにイエスを訴える側に廻りました。

  昔も今も、もっと賢明に民衆は考えなければならないと思いますが、中々うまく行かないのがイギリスでした。だが、来週の参院選で日本でも何が起こるか知れません。後悔先に立たず。ただ平和憲法だけは変える愚かな道に進んではなりません。

  ピラトの調べでは、イエスを死刑にする証拠は何もなかったし、ヘロデ王も同様でした。有罪の根拠がないのに死罪を宣告すれば、歴然とした冤罪です。もしそうなれば、古代とはいえ出世コースを辿るピラトの政治生命に傷が付きます。

  それで、鞭でこっぴどく懲らしめて釈放しようと提案した。マルコ福音書には、彼らが告発したのは妬みのためだとあります。嫉妬なら、拷問を加えるだけでも彼らの不満は消えると見たのでしょう。

  それにしても、罪がないのに鞭打ちでイエスを懲らしめるとは酷いものです。この鞭打ちはローマ式の鞭打ちで、ラテン語フラゲルム言われ、地上で最も残忍な鞭打ち刑の一つです。鞭は短い棒の先に数本の革紐が結びつけられ、その革ひもに尖った金属片が幾つも結えつけられていて、それを力任せに振り下ろして拷問します。皮膚も肉も裂け、血が飛び散ります。想像するだけでも酷い拷問を無罪のイエスに行なおうと提案したのです。昔も今も、為政者は庶民に何を仕出かすか分かりません。

  人の心の襞には、色々な考えが複雑に入り混じっています。ピラトとしては苦肉の策でしょう。法律家であるピラトは、ローマ法に逆らって不当に処罰すれば、逸脱行為として彼自身が法に問われます。そこまで行かなくても不名誉な事ですから経歴に汚点が残ります。彼は生粋のローマ人で、「我々はローマ法に従って裁かねばならない。無罪の者を死刑にすることは禁じられている。それは断じて出来ない」と滔々と語って、鞭打ちを提案したのでしょう。むろん今日ならこれも許されないことです。

  すると、「人々は一斉に、『その男を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ。 」毎年、祭りのたび毎に、ピラトは現地の囚人1人を釈放しなければならなかったからです。いわゆる恩赦です。バラバは19節にあるように、暴動と殺人のかどで投獄されていた人物で、処刑がほぼ決まっていたが彼を釈放し、彼の代わりにイエスの処刑を要求したのです。一斉にとは声を揃えてという意味です。彼らは総督官邸の庭でシュプレヒコールを唱えるように何度も大声で怒鳴ったのでしょう。

  だが総督はその声にもめげず、もう一度イエスの釈放を求めた。彼にはイエスの無罪に自信があったしそれは正当であったからです。

  ところが人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けたのです。ここに至っては両者は共に譲らず、「釈放しよう」、「いや処刑だ」の押し問答です。

  だがピラトはなおも懲りず、3度目に、「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」と粘り強く提案しました。ローマ総督と言えども、多くの民衆に逆らって呼びかけるのは勇気がいります。彼はそれを3度もした。彼は彼らを何とか宥(なだ)めて、イエスの釈放を望んだのです。そういう意味では彼はイエスのために尽力した人です。彼はある意味でイエスの味方であったと言えます。ある意味でと含みを持って申しましたのは、後で理由を申します。

  ところが人々は、「イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続け、その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した」とあります。「その声はますます強くなった」と訳される言葉は、「遂に、彼らの叫び声が勝利した」とも訳されます。前の口語訳は、彼らの「声が勝った」と訳していました。元は勝利する、優越する、打ち負かすという言葉です。民衆の声が益々大きくエスカレートし、ピラトの提案を圧倒したのです。遂にイエスの十字架刑が宣告される歴史的瞬間を迎えた。

  「そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた」のです。

  これ以上考えを貫けば暴動になると考えたのでしょう。マタイ福音書は、暴動を恐れたと記しています。事実そういう事態を迎えていましたが、同時に、ここまで粘ってローマ法が語る判決を通そうとしたのだから、今は民衆の要求を飲んだとしてもローマの元老院に召喚されて尋問されることはないと判断したのです。いや、彼は切れる人物です。暴動になる所を、うまく落とし所を見つけ、危ない場面を上首尾に切り抜けたと誉められるその時を待っていたかも知れません。

  そして決断を下すと、イエスを渡して好き放題にさせ、早々に引き揚げました。後は、俺は知らんと言わんばかりです。

  彼はイエスを人間として尊ぼうとか、人は神の姿に似せて造られたから尊いとか、この一人も滅びないようにとかいう愛からの発想ではありません。そういう人命の尊さでなく、自分の出世欲から、この判決が自分の経歴の傷にならないかということです。彼も人間ですから愛もあったでしょう。それゆえ愛と出世欲のはざまに挟まれたでしょう。だが「イエスを渡して好き勝手にさせた」所に彼の人間性の弱さが見えています。人々の声が勝利しましたが、彼は彼らの声が勝利する時を待ってもいたのです。そうなればローマ法に抵触しないからで、ある意味でイエスの味方に見えますが、味方でもないし、イエスのための尽力でもありません。イエスの釈放にこだわったが愛の心からでなく、一切は自分のためです。


          (つづく)

                                           2016年7月3日


                                           板橋大山教会 上垣 勝




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