荒磯で砕ける荒波


                 バベルの塔ブリューゲル。ウイーン美術史美術館)
    日本は今、更に高く、更にもっと高くと、バベルの塔を築いているのかも知れません。これは警告です。
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                                                   イエスを訴える (下)
                                                   ルカ23章1-12節
 

                              (3)
  私たちの聖書は1節から5節を「ピラトから尋問される」とし、6節以下を「ヘロデから尋問される」としています。幾つかの英訳聖書は、それぞれ「ピラトの前のイエス」、「ヘロデの前のイエス」としています。ただ、元々こういう表題は聖書に付けられていませんから、私たちは1節以下を「イエスの前のピラト」、6節以下を「イエスの前のヘロデ」と言い換えてもいいでしょう。イエスの前で彼らの姿があぶり出されているからで、ピラトやヘロデがイエスを尋問しながら、イエスによってその姿が明らかにされたのです。

  それから全会衆の姿もイエスの前で明らかにされました。皆がそうしたから仕方なかったと自己弁護するかも知れません。だが自己弁護も含めて、どう言う人間であるか、イエスの前であぶり出されていす。高級官僚のピラトも例外ではありません。彼は4節で、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言ったのに、イエスを釈放しません。彼は世の動向を見極めた上で結論を出す人間です。世の流れを冷静に読んで自分は損をしない人物です。

  ヘロデも、イエスの前でその性格の問題性、限界、罪の姿があぶり出されます。彼は王です。だがキリストを嘲る王、人を人として扱わない王、決して人の模範になれない王です。そして兵士たちは自分らの頭(かしら)ヘロデと一緒になってイエスを侮辱します。軍隊の上意下達(かたつ)で、誰ひとりそれに疑問を抱きません。

  そしてユダヤ教の最高の長たちや律法学者たち、彼ら宗教家たちも組織と制度を守るためにイエスを何とかして処刑するためにがむしゃらに進みます。

  だが、これらすべてがイエスの周りに荒波のように打ち寄せても、イエスは荒波を打ち砕く不動の岩のような存在としておられます。次々と荒波は荒磯の岩を攻撃し、何度も何度も岩を叩きつけますが、その度に砕け散り、白い波となって鎮まります。

  ユダヤの最高議会は力を振り絞り、あらん限りの力を合わせて打ち寄せました。だがそのことでその本性が明らかにされたのです。イエスはいわば金かどうかを調べる試金石です。イエスに体当たりする者は、自分は何者であるか、正体が暴露されます。

  ここには人間の混乱があります。人間の醜い姿が丸出しになり、愚かさと悪の荒波が襲いかかり、欺瞞と偽り、不正の荒波が鳴り轟き、血と槍と叫びの荒波となって荒れ狂います。イエスの近くには悪魔的なものの姿さえ見え隠れします。

  だがたとえそうであっても、地獄ではありません。人々による混乱は十分過ぎるほど悪いものです。しかし混乱は混乱ですが、地獄ではありません。神は隠れて見えません。だがたとえ見えなくても、神がおられないのではありません。実際は、それでも世界は神によって支えられ、保持されています。

  イギリスが国民投票でEU脱退を決めました。まさかの脱退か多数を占めるや、自分はよく考えていなかったとか、今初めて脱退の重さを思い知ったと言う後悔の声が上がり、再度の国民投票を求める声がドッと押し寄せ、200万人(7月6日現在400万人を突破)に達しました。スコットランドは自分たちだけでEU残留を唱え始め、大混乱が始まっています。

  他人事ではありません。7月選挙で今の政権が2/3を取れば憲法を変え9条も骨抜きにする大変革が起こり、これも必ず経済環境を悪化させるでしょう。イギリス人は愚かだと嘲るのでなく、これを反面教師にしなければなりません。

  ただ、人の混乱から生まれる世の出来事も、決して神の御手の外で起こっているのではありません。神の御手の中で、摂理の下で起こっているのです。

  イエスは裁判にかけられています。だが本当は彼らこそイエスの前で何者か、裁きに掛けられたのです。

  イザヤ書49章に、「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける」とあります。

  キリストは手のひらに私たちを刻みつけて下さっています。何が起ころうと、キリストの手のひらから私たちが消されることはないのです。

  どのように刻みつけられるのか。十字架において、肉を裂き、血を流すことによって永遠に私たちをその恵みの手のひらに刻みつけられたのです。誰もこの刻印を消すことは出来ません。


          (完)

                                           2016年6月26日


                                           板橋大山教会 上垣 勝




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