3者の確執


                         アンリ・ルソールーブルにて)
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                                                   イエスを訴える (上)
                                                   ルカ23章1-12節
 

                              (序)
  昨日の土曜日はA教会の家庭集会に招かれてお話して来ました。40年ほど続いている会で、毎回15人程が参加され、仙台から出席の方もありました。そこから数人の受洗者が出ています。今回の最高齢者は91才の婦人で、若々しく70代だと錯覚しました。しかし60才までは病気に病気が続く病弱の方だったそうで、その後健康になったと話しておられました。やはり神を信じて長く生きなければ人生は分かりません。自分の人生のどこにこんな健康があったのかって、不思議がっておられました。

                              (1)
  久し振りにルカ福音書に戻って、今日は23章1節から12節までの所から福音をお聞き致しましょう。

  イエスゲッセマネの園で、ユダが手引きする祭司長の手下らに逮捕され、大祭司官邸に連行されました。ペトロはその庭で3度イエスを知らないと否認し、イエスの予言通り鶏が鳴いたのです。その後イエスは、見張り人らから侮辱と酷い暴行を受け、朝になると70人議会、即ちユダヤ最高議会に場所を移されてそこで神への冒涜罪を言い渡されます。

  今日の1節の「そこで」とは、冒涜罪が宣告された時です。「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。」表立って弁護する者もなく全会一致で判決を下し、70人議会全員が揃って、ぞろぞろとローマ総督ピラトの所に連行したのです。

  そして口々に、「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と訴えました。訴えは3点。民衆を扇動した罪。皇帝への納税を禁じた罪。そして己を王的・政治的メシアだと自称した罪。廻りは全て敵に囲まれて、ただ一人孤立を味合われたのです。

  律法の意味を根本的な所から問って民衆に人気のあるイエスに、彼らが嫉妬して悪意から倒そうとしていますが、イエスは皇帝への税金を禁じたのでなく、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と言われたのです。また、ご自分を王的なメシアとされませんでした。むしろ仕えるメシアとして、この世に仕え、支配を目論まれませんでした。また民衆を扇動したのでなく、彼らを愛し、慰め、飼う者のない羊のようにさ迷う彼らの友となり、深く憐れまれたのです。だが彼らは論点を少しずつずらしてイエスを告発し、打倒しようとしたのです。

  ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋ねると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになりました。即ち、それはあなたが話している事で、私はそのような事を主張していないと、きっぱりお答えになりました。それでピラトは、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言ったのです。

  前の口語訳では、イエスは「その通りである」とお答えになり、それを聞いたピラトが、「私はこの人に何の罪も認めない」と語ったとなっていて、意味がよく通じませんでした。しかし新共同訳は意味がよく分かります。

  聖書の翻訳をして下さった方々は本当に大変な努力だと思います。単にギリシャ語を日本語に変換する単純作業でなく、最も信頼できる原本はどうかを精査し、最新の外国の翻訳も参照し、1節1節訳して、他の人の意見も聞き、訂正しながら最終的な訳文を作る。それでも翻訳文を見て、とやかく言われる。こうすべきだ、ああすべきだ、前の方がよかった、中には日本語としてなっていないという不満も耳に入ります。いちいち聞けばノイローゼになるでしょう。だが丹念に意見を聞いて、更に良いものを作り出して行くのです。そんなことを想像し、自分ならどう対応するだろうかと考えると、やはり感謝を感じます。

  少し横に逸れましたが、要するにピラトは、イエスは有罪だと考えなかったのです。だが彼らは、力ずくで有罪を勝ち取るつもりです。ピラトの言葉を撥(は)ねつけ、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張ったのです。「扇動」とあるのは、焚きつけること。言い張ったとあるのは、猛然と強く言い張ることです。

  総督はローマ軍を背景に、絶対的権力を持ちます。軍事力ではユダヤ人は太刀打ちできません。しかし最高議会である70人議会が全員揃って立ち上がり、死力を尽くして訴えたのです。地元民の結束は総督と言えども無視できないという読みがあります。それを見越して、ここは梃子(てこ)でも動かぬという強い態度で言い張ったのです。

  先程も申しましたが、イエスは扇動でなく、福音を語って民衆を励まされましたが、それを扇動と解釈したのです。

  翻って、ピラトはさすがに秀才です。訴えにガリラヤとあるのを耳にしたピラトは、「この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。」彼はユダヤの内政に出来るだけ首を突っ込まず、ヘロデ王に下駄を預けたのです。

  ヘロデというのは何人か出て来ますが、この王はガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスのことです。自分の誕生日にバプテスマのヨハネの首をはねさせ、盆に乗せて祝いの席に持って来させた王です。この血生臭い男に下駄を預けたのです。

  ピラトはローマの高級官僚で剃刀(かみそり)のような切れ味を持ちますが、ヘロデの方はそういう切れ味はありません。だがそんな切れはないが、ヘロデ大王の息子です。不遜極まりない豪快さを持ち合わせています。

  
  祭司長たちは躊躇したでしょう。ピラトとヘロデと祭司長たちの確執です。ピラトに決着をつけてもらいたかったのに、他の不確実な要素が入って来た。ヘロデがどう判断するか分からない。だが彼らは諦めずにヘロデの所にも押し寄せて次々訴えたのです。

(つづく)

                                           2016年6月26日


                                           板橋大山教会 上垣 勝




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