呟(つぶや)きが世界を変える


                       マリー・ローランサン(2)(ルーブルで)
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                                               つぶやきを聞いて下さい (下)
                                               詩編5篇1-13節



                              (3)
  そういう現実社会にあって、11節の言葉はどう聞こえるでしょう。「彼らを罪に定め、そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。」聖書は女性たち以上に、男性たちに読んで頂きたい書物です。今も職場でこういう呟きを持つ男性は多いのではないでしょうか。今週もどこかの酒場で、昼には言えないこういう言葉が飛び交うことでしょう。

  悪の企みの故に、「打ち倒してください。」打倒を叫ぶのはいけないのでしょうか。単なる個人的な私怨(しえん)や怨恨(えんこん)でなく、10節にある行為は、反社会的振る舞い、モラルを欠く社会への反逆ではないでしょうか。

  岩本さんがバングラデシュで働いていられるラルシュの創設者ジャン・バニエという人が、「優しさは、身体の言語である」と書いていました。優しさは、今日はお父さんが赤ちゃんのA君を優しく抱いておられますが、優しさは父親や母親が子どもを抱く時に現われます。優しく接し心優しく抱いておられる。身体の言語は優しさを語りかけます。

  バニエさんがある尼寺に行った時に、日本の尼寺でしょうか、一人の尼さんが食事とお茶を大変丁重にふるまってくれたそうです。その様子は、食事そのものがまるで神の存在を明かす、何か神聖なものであるかのようだったと書いていました。今を、この時を大事にしているのです。それは手つきや物腰から窺われます。今という時は、神に属し、神のものです。それは、私たちと一緒に、今生きている植物や動物や地球環境とどう生きるかにも関係して来ます。

  しかし10節は、「彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで、喉は開いた墓、腹は滅びの淵」とあり、このような心では自然や地球環境に対しても流血の罪を犯し、暴力的に振舞うことになるのではないでしょうか。

  もう一度申しますが、彼らを「打ち倒してください。…追い落としてください」と叫ぶのはいけないのでしょうか。 これは憎しみに駆られていますか。愛がないことでしょうか。冷た過ぎるでしょうか。目には目、歯には歯でしょうか。11節だけ取り出せばそう読めぬこともありません。

  ここでもキリスト教的愛を語り、彼らに対しても神の赦しと愛を全面的に語らなければならないのでしょうか。それが出来ればそれに越したことはありません。

  しかし反対にそのままにしていい訳はありません。癌はある時点ではメスを入れ全面的に切除しなければなりません。今年は毎日のように巨峰を手入れして病気にはどれだけ細心に用心すべきか分かりました。一旦病気が広がればもはや手に負えません。エボラ出血熱とか、恐らく公衆衛生方面も同じです。大らかに在るべきことと細心であるべきこと。寛大さと厳格さ。このバランスが人生と社会で大事です。

  その意味では、この信仰者は願いは願いとして持ちつつ、神の裁きを待ちます。忍耐に忍耐を重ね、神が働いて下さる時を待つのです。なぜなら彼らのあり方は決して健全な社会を建てず、共同体を造り上げるものではないからで、自分の欲望の達成のみを考えているからです。

  この信仰者は朝毎に、彼らを「打ち倒してください。…追い落としてください」と祈ります。そこにむろん憎しみが入る隙がありますが、その隙を最小限にして 神の義が貫かれることを切に祈り求めます。悪や罪、神への背きや欺きや偽りは、決して信頼できる社会を建てることにならないからです。

  これは朝毎の祈りです。神よ、暴力を持って権力を持って彼らを打倒し、殺戮(さつりく)して下さいというのでなく、もっと穏やかに、息長く、神が働いて下さるのを待つ祈りです。暴力肯定でなく、よりよい社会を目指しての息長い戦いとして、朝毎に神の前に出て呟くのです。民主主義とは息の長い戦いです。70年どころでなくその何倍もの長い戦いが必要です。その呟きの中で時代遅れの強権的なものや独裁的なものは必ず淘汰されます。そして神へのこの呟きが世界を必ず変えて行くのです。私たちはこの時代を見ながら、本当の呟きを呟かねばなりません。本気で呟くことが必要です。

  人生は多難です。神に耳傾け、その慈しみに拠り頼む者もまた、過ちを犯さないとは限りません。「私が正しい」という過剰な自意識が間違いの元になる場合もあります。だから彼は、主よ、私の「盾となってお守りください」と、私自身が罪を犯し、悪を為す者となりませんようにと、切に祈るのでしょう。


      (完)

                                           2016年6月19日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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