ツイッターの元祖


                           A.ドラン(ルーブルで)
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                                               つぶやきを聞いて下さい (上)
                                               詩編5篇1-13節



                              (1)
  今、「ツイート」とか「ツイッター」という言葉がよく聞かれます。元は小鳥の囀(さえず)りのことですが、日常のつぶやきやひとりごとをインターネットに短く書き込んで、独りごとを人々に知ってもらうもので、世界中で大はやりです。

  恐らく毎日数億、数十億の呟きが地球上を飛び交っていて、今やローマ法王も呟(つぶや)き、クリントンさんも呟(つぶや)いています。インターネットをしながら、呟いていないのは上垣牧師ぐらいでしょう。

  ただ世界中の呟きは人に対する呟きであって、「主よ、わたしの言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けてください」とある、神に対する呟きではありません。ツイッターの呟きは実に軽いはかなく消え行く呟きが殆どです。

  今日この詩編を取り上げたのは、私たちは、呟きを聞き分けて下さる主に向かって、私の王であり神であるお方に向かって、天に向けて呟きたいからです。

  この信仰者はダビデとあります。彼は、主よ耳を傾け、呟きを聞き分けて下さい。助けを求めて叫ぶ声を聞いて下さい。あなたに祈りますと語り、「主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て、あなたを仰ぎ望みます」と呟きました。

  彼は、朝毎に神の前で独り呟いたのです。彼はツイッターの元祖、兄貴分です。神の前に静まって対坐し、神に訴えたのです。それは愚痴かも知れず、泣き言かも知れません。だが彼の全存在を揺さぶるものがある限り、呟かざるを得ないのです。

  「助けを求めて叫ぶ声を」と言い、「御前に訴え出て」と語る所からも、一人では重くて担い切れず、神に呟き呻(うめ)かざるを得ないのでしょう。神は私の王であり、全身全霊をご支配下さる方、私の危機をご存知であるからです。

  ツイッターの呟きは必ずしも対話ではありませんが、彼の呟きは神との対話です。祈りです。だから「あなたに向かって祈ります」とあるように、魂の奥底から湧く呟きとして神に叫ぶのです。

  何度も、「朝毎に、朝毎に」とあります。彼を苦しめる試練が長く続いたからでしょう。朝毎に王なる方に訴えなければ、その日一日、心が晴れず、力が出ないからです。

  詩編55篇に、「あなたの荷を主に委ねよ。主はあなたを支えられる。主は正しい人の動かされるのを決して許されない」とあります。神の約束が日毎に新しく確認される時、やっと心は晴れて軽くなり、担う力が生まれます。一日の業を始める前、朝の祈りがある時、その日起こる難事も担えるからです。自分だけでは敵に太刀打ち出来ず、弱気が起こったり、誘惑の手に乗ったり、足をすくわれたりすることさえ起こるからです。

  「呟き」とあるのは、呻きでも、溜息でもあります。英訳ではそう訳すものもあります。神の前に呻き、溜息をつく。それも聞き届けて下さるのです。

  「仰ぎ望みます」とあるのは、神を凝視することです。恵み深い神を凝視するのです。神にせっつくのでなく、艱難が御心なら、それも神からのものとして担う力を与えられるためです。

      (つづく)

                                           2016年6月19日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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