請求書と領収書の信仰


               今日の生花のアジサイとすすきの取り合わせはいかにも野の趣きです
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                                                  安らかにここに住む (上)
                                                  詩編4篇1-9節


                              (1)
  この詩編は英語聖書では夕べの祈りとなっています。9節に、「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります」とありますから、夜が更け、床に就く前に神の前に静まり、「安らかにここに住まわせて下さる」ことへの感謝が歌になったのでしょう。

  ダビデの詩とあります。ダビデ王にして、「いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか」と、長期にわたる苦難や辱めを受けていたのでしょう。王であっても心静まらず、いやトップに座る故に妬みや画策で心を悩ますことが多くあるかも知れません。それは今日、地位にある人にも通じます。

  だが元々彼はベツレヘムの平社員、いや、一介の羊飼いです。羊飼いらしく質素堅実で、性来大らか、健康的な人物で、貴族や王族また祭司や学者の出ではありません。ですから地位は高いが心根の卑しい人間の、「空しさを愛し、偽りを求める」者らによって苦しめられたのでしょう。彼らはダビデの素朴な信仰と真面目さを目にして、高みから見下ろして嘲笑い、彼の自尊心を傷つけるだけでなく、彼にとって最も大事な神の尊厳すらも傷つける者として振舞ったのでしょう。

  「わたしの正しさを認めてくださる神よ」とあります。これは、あくまで自分の正しさを信じて疑わないダビデの信仰です。どんなに敵たちが彼の真面目さや信仰を嘲笑い、軽蔑しても、神は彼の正しさを必ず明らかにして下さると信じてやまないのです。なぜそこまで信頼できるのか。

  2節に、「苦難から解き放ってください」とあります。ところが幾つかの英訳聖書は、「あなたは苦難から解き放って下さった」と過去の経験として訳しています。私はそれが正しい訳だと思います。

  ここに彼の神信頼の根拠があるからです。日本語聖書では神への信頼の根拠が見当たりません。彼にとって、神は頭の中の抽象的存在でなく、具体的な恵みの神であり、かつて苦難から助け出して下さり、窮地から脱して広い安全な所に置いて下さった経験があったからこそ、今また主が答えて憐れんで下さり、祈りを聞きあげてこの窮地を脱することが出来るようにして下さると固く確信するのです。ここに、悩みの渦中にあって苦しみつつも、恵みの神を経験した者の確信が歌われています。

  ただそう考えると、翻って私たち自身のことを思うと、自分にはダビデの様な恵みの経験がないからダメだと思いがちでしょう。だがそうではありません。神の恵みはふんだんに注がれています。だがそれに気づかない。この会堂にまだ使われていないコンセントが4つあります。そこまで電気が大量に送られて来ています。ところが、仮にですが、その電気を取り出すエアコン設備が2台共故障していて扇風機も壊れていたら、夏はうだる暑さになるでしょう。電気はそこにあるのに止まったままである。それを取り出す機械がない。そのように神の恵みは私たちの所までふんだんに届いている。だがそれの受け手がないのです。

  ダビデが神の恵みに気付いたのは、彼は常に神に向かっていたからです。だから祈りが聞かれると率直にそれを神に感謝した。彼も神に色々なことを願いました。神に請求した。だが祈りが聞かれるとそれを感謝し、神に感謝の領収書を出したのです。神に願い請求書は出すが、感謝の領収書は出さない。それだと感謝の蓄積は生まれません。感謝の蓄積が信仰です。祈って聞かれたら、感謝してそれを蓄積して行く。祈ったことを忘れてしまっては、折角の神の恵みも蓄積されません。

  3節に「人の子らよ」とあります。人の子というのは普通の人間を指す場合、それから人の子イエスを指す場合、その他この3節のように地位が高く、毛並みの良い人たちを指す場合があるようです。彼を嘲笑うのは普通一般の人たちや外敵ではありません。むしろ王である彼を取り囲む貴族や王族、育ちも家柄もいい、学問を積んだ識者たちです。

  ところが、彼らが「空しさや偽り」、即ち偶像を愛し、富と更なる経済的繁栄を目指して、もっと上流のもの、超一流のものを求めて倦むことがありません。彼らが目指すものは優しさや平和な社会でなく、力であり経済的な強さであり、富国強兵による安全です。ダビデの様な一本気な信仰者の仰ぐ、赦しや愛、平和や真実な神などは彼らには愚弄すべき存在なのです。権力を持つ強者の神、富国強兵の神こそ彼らが目指す神々です。だがダビデはそれを「空しさや偽り」の神々と呼ぶのです。

       (つづく)

                                                   2016年6月12日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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