口が滑った


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                         ステンドグラスの修復(6)





                                               敵のために祈ったステファノ (下)
                                               使徒言行録7章54節-8章4節
 

                              (3)
  少し見方を変えますが、ステファノの殉教。だが意地悪な見方からすれば、これは挫折、敗北だったと言えないでしょうか。ユダヤ教側からすれば彼を石打ちにして、気が清々したのでないかということです。また彼は少なくともユダヤ人たちを激怒させてしまった訳で、それは失敗だったと指摘できます。口が滑ったからいけなかったと批判されるでしょう。

  私はこの所で、戦前のドイツのボン大学で教えていたカール・バルトという人が、ドイツ教会の先頭に立ってナチスと粘り強い戦いをし、バルメン宣言という非常に重要な信仰の宣言文を起草し、多くの人や教会とその宣言を公けにして行ったことを思い出します。(宮田光雄著「カール・バルト」)

  彼はその後、ヒットラーへの宣誓を要求され、それは人間を神とすることだと断固断った彼は、裁判にかけられ、やがてドイツを追放されます。1935年の春です。その時は既に大学の講義を禁じられていたので、ボン郊外で秘密裡に学生向けに開いていた聖書研究会で別れを告げたのです。その時こう言って別れを告げました。

  今、「この時においても、全く単純にみ言葉に聞き、み言葉の下に身を置きましょう。」彼はこれまで常に、み言葉に聞き、み言葉の下に身を置くことを、そこから強靭な信仰が生まれると説いて来たからです。

  続いてこう語りました。「『神は高慢な者を敵とする』(ヤコブ4:6)と言われました。思い上がる者とは誰でしょう。私たちが素晴らしい活動をしていた当時、この言葉が我々にも当てはまろうとは思いませんでしたが、あの当時も、多分に私たちは思い上がりがあったのです。疑いの余地はありません。」こう自分たちの運動を突き放して振り返りながら述べて、だが、「私たちに出会われる方は、決して悪しき主ではなく、痛みや打撃を与えられるが、これは悲しむべきことでなく、主の御手がそれを加えられたのですから、必ずそこに主の恵みがあります」と語ったのです。

  「主は痛みや打撃を与えられる。だが悲しむべきでなく、主の御手がそれを加えられたのだから、必ずそこに主の恵みがある。」この言葉はそこに集った人たちに強い感銘と深い慰めを与えたのです。神は、神を愛する者と共に働いて、万事を益とされるという健康な信仰です。

  ステファノ事件が引き金になり、エルサレムの教会に大迫害が起こり、使徒たち以外は周辺の町々に散らされて行きます。使徒たちは勇気を出し、大胆にもそこに留まり続けたのです。逃げなかった。

  こうしてこの事件は福音が異邦世界に伝わり、全世界に福音が播かれるきっかけとなります。だがステファノでさえ、人間ですから思い上がりがあったかも知れません。雄弁に語る中で、高慢な思いがサッと胸をかすめたかも知れません。それで口が滑ったかも知れません。だから砕かれたのかも知れない。だがたとえそうであっても、ここにも主がおられ、主の恵みの御手は加えられているのです。そして彼の殉教の血が用いられて、世界に主の赦しの福音が伝えられる一大エポックが起こって行くのです。彼の口が滑ったのは、主がそうされたのかも知れません。世界伝道を主が始めるために、彼の口を滑らせられたのかも知れません。

  それにしても、彼は赦しのために執り成したのです。主の赦しの福音です。怒りや裁きでなく、磔になり、復活したイエスを天に仰いで、赦しの福音を生きたのです。結果、仲間たちは散らされますが、散らされて世界に彼が指さした赦しの福音が告げ知らされることになるのです。

  繰り返します。迫害はステファノの殉教をもって始まったが、福音が伝播(でんぱ)して行くのを誰も止めることができなかったのです。神が始められたものは誰も阻止できません。福音の良き知らせは、迫害をのがれて散らされて行った人たちによって、国境を越えて広められて行ったのです。

  「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」彼はこの言葉を語りつつ、永遠の眠りに就いたのです。

  ステファノの神を仰ぎ見る目が、彼の生き方を変えたのです。3つのことをお考え下さい。私たちは神をどのような方として仰ぎ見、どう信じるのでしょう。また許せない人々を赦そうと言う決意は、どこから生まれるでしょうか。また困難な問題が個人や自分が属する社会で生まれた場合、新しい歩みを踏み出すには何が必要でしょうか。ステファノのことを通してお考え下さい。

        (完)

                                           2016年5月8日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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