敵のために祈ったステファノ


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                          ステンドグラスの修復(4)





                                               敵のために祈ったステファノ (上)
                                               使徒言行録7章54節-8章4節
 

                              (序)
  先週は愛餐会で、20数人が1分程、説教の感想をお話下さり、皆さんが良い耳を持って受け止めて下さっている事に驚き、感謝しました。同じような言葉が返って来るかと案じていましたが、あのような多様な聞き方や考え方をお出しになって、素晴らしい時間でした。この教会は中々魅力的ですね。同じパン生地から、何種類ものパンを味わったような思いでした。

                              (1)
  さて今日の中心は、ステファノは何故、敵のために祈ったのかということです。

  ステファノは教会の最初の殉教者になりました。6章に出ていますが、彼は神殿と律法冒涜の罪で逮捕され、最高法院に起訴されました。彼はそこで、イスラエルの数千年の歴史から説き起こし大胆に証ししたのです。その様子は7章に記されます。途中まではよかったのですが、イエスを十字架に付けて殺した彼らの罪を指摘し始めると、議員たちは激怒し、図星というか一番痛い所を突かれて、悔しさの余りステファノに向かって歯ぎしりしたのです。

  議場が騒然となる中、彼は穏やかに語り続けようとしました。だがもはや冷静な議論は望めません。彼らが怒りに燃える中、それでも彼は神の聖霊に燃やされて話し続け、やがて彼は、「天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と」語ると、彼らは「大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた」のです。石打ちの刑です。

  彼は「天を見つめ」とありました。憎悪で彼らを睨みつけたのでなく、目を天に向けたのです。天を仰ぎ、神の栄光の輝きの中で復活のイエスが神の右におられるのが見たのです。神の右に立つとは、イエスは神と一つであるということです。だが、それはユダヤ人には十字架に付けられた者を神とすることですから、聞くに耐え難く、ステファノは神を冒涜したと、彼は「人間イエスを神だと主張した。有罪で磔(はりつけ)になり呪われた男がどうして神であろうか」と叫んで、「襲いかかり、都の外に連れ出して」、めったやたらに石をぶつけたのです。

  この間、判決は何も言い渡されません。判決もなく、十分な弁明の機会もなく石打ち刑を受けたのです。人々が彼を石打ちの刑にする時、処刑に賛成の証しとして自分の服を、将来の使徒パウロの足元に置いたとあります。彼はこの何年か後、キリスト教の大使徒になって行きますが、この時は教会の撲滅に加わりステファノの処刑に賛同していましたし、この後も、家々に押し入って教会を荒らし、男女の区別なく、牢に送ったとあります。彼がやがて信仰の一大転換をしますが、そんなことは今は誰の目にも分かりませんし、本人も多分気付いていないでしょう。だがこの時からもう何かが始まっていたでしょう。今日はこの後武州長瀬の武蔵野霊園で墓前礼拝があり、時間の関係でこれ以上興味深いサウロのその後には触れることができません。

        (つづく)

                                           2016年5月8日



                                           板橋大山教会 上垣 勝




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