主の教えを慕う人


                         ステンドグラスの修復(2)
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                                                 幸せにいたる人類の道(上)
                                                 詩編1篇1-6節


                              (1)
  今週はルカ福音書から離れて、今、交読しました詩編1篇を学んでみたいと思います。ここには真に幸いな人、本当に至福の喜びを与えられた幸福な人とはどういう人かということが書かれています。

  こういう内容をもつ詩編が第1篇に置かれているのは、今から始まる150篇の序論という意味を持つでしょう。ですから詩編全体が語らんとする事は、中には悲しみの中にある人、貧しさの中にある人、困難や試練、重荷を負う人、嘆きの中にある人など様々ですが、ここに歌われている信仰者の持つ気高な生き方、気宇の大きな、心の高い高邁な生き方であるということでしょう。その代表となるものを、今日は学んでみようということです。

  「神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず。」神に逆らう利己的な損得関係の生き方でなく、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」とあるような、神を仰ぎ、神に砕かれ清められて、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛し、同時に隣人を、自分を愛するように愛しなさい」と主が教えられた教えによって、真実に生きようとする人です。単純に言えば、神を第一とし同時に隣人愛に生きる、新約聖書でイエス様が説かれた生き方ですね。詩編新約聖書に通じて行く在り方を説いています。

  真に幸いな人は、「傲慢な者」や、困難に直面して一生懸命苦労し頑張っている人々を見て、冷たく冷笑する者や皮肉屋、また国や民族や出生の違いで人を侮蔑し、軽蔑して笑う人とは行き方を共にしない。また「罪ある者の道に留まらない」、即ち罪ある者たちの先例に従わず、彼らの轍を踏まず、歴史から大切な教訓を受けて心に銘記して歩む人です。また、「神に逆らう者」の悪だくみにくみしない。やむを得ず一緒に仕事をしなければならないことがあるでしょうが、少なくとも、悪に染まるような者と率先しては組まないのです。闇の力がうごめく所で、この世的利益をひたすら追求し、悪の力に加担して大事な生涯を消費してしまうような事をしない人だというのです。

  そうではなく、もう一度申しますと、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」であろうとするのです。「主の教え」とは、ここでは十戒とそこから生まれた戒め、律法を指します。その中心は先程申し上げた、神を愛し隣人を愛することです。神に根差した公明正大な精神に生き、その教えを、力を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして愛そうとする。そこに真に幸いな、至福の喜びに与る人がいると語るのです。別の譬えを申しますと、主の教えの貴さを知って、自分の瞳のようにそれを守る人です。これはいわゆるイエスが拒まれた律法主義者とは異なります。

  「その教えを昼も夜も口ずさむ人」とありました。前に申しましたが、これは鳩が屋根でクークークークーいつまでも鳴いている姿です。主の教えを昼となく夜となく心に留めて慕い、クークーではありませんが口ずさむ人です。

  スピード・ラーニングとかいう英会話の学び方があります。聞き流すだけで英語は上達するとのキャッチ・フレーズです。本当ですか?聞くだけでいい。寝てる時に流すだけでも上達するとかいいます。

  世の中にそんな便利なものがあるんでしょうか。でも、神の言葉の場合は聞くだけではだめで、私たちの魂の中に受肉しなければなりません。「お言葉通りこの身になりますように」とマリアのように語って、血となり肉となる。知的な知識の領域だけで留まっていても不十分で、それが自分のものとなり、自分から溢れ出て生きて働く時に、幸いが実際のものになります。そのためには神の言葉を黙想し、口ずさみ、反芻することが必要です。

  神の教えを心を込めて全存在を掛けて読み、十全な意味で学ぶ必要があります。口で発音して身体でしっかり心に刻みつけて記憶する。意味を深く理解することで知性で受け止め、実行に移して意志をもって実践的に学ぶのです。

  「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」とあるのは、そういう学び方をする人でしょう。流れとあるのは、ヨルダン川の流れをイメージするとすれば確かにその両側に青々した緑が繁っています。だがここでは細い流れ、小川のほとりであって、元の言葉は細い流れです。乾燥地帯ではそれで十分です。木々は高く青々と茂り実を結びます。ナツメヤシなどはタワワに実ります。

  4月が早過ぎ5月に入りました。4月は、入学や進級、就職や転勤の時期で、新入社員が入って来たりもしますが、春を迎えて装いを新たにしてイメージチェンジした方もおありでしょう。

  先日、数人の者たちで4月から新しく始めたことを雑談していましたら、町屋新生教会の大塩先生が90歳を迎えて、毎日、旧約聖書新約聖書を1節づつ写経しているというのです。聖書を書き写す写経です。日本語、英語、ドイツ語、ギリシャ語、ヘブライ語の5つの言語で写経し始めたと言っておられました。なぜ写経か。少しでも神のみ言葉の真意を探りたい、神のみ心に近づきたいとの思いからですとおっしゃいました。

  「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」というのは、こういう人でしょう。どういう人と交わるかで、人生は変わります。水臭い、了見の狭い、物欲の強い人間とだけ付き合っていてはいけません。写経でなくていいのですが、私は、こういう志の高い方々とお交わりさせて頂く幸いを感じます。

  志の高い方は自分の周りにいないと思う方があるでしょうか。ご本人がいないので話しやすいですが、Aさんの交友範囲の広さに驚きました。彼女の気性の善さ、誠意があり、一本筋の通った信仰が人を引きつけて来たと思います。普通、美容院は日曜日は掻き入れ時です。だが必ず日曜は閉店して主の前に出、その分、平日は遅くまで営業し、だが金儲けだけにならず、30数年間絵を描いて来られました。中々出来ないことで、身近な所にも志の高い人物がいると思います。秋田に帰られるのは、お姉さんのお世話をしたいからと言われますが、最大の願いはお姉さんを信仰に導きたいと考えておられます。Aさんは本当は秋田に去って行くのでなく、秋田のお姉さんの所に主によって遣わされるのです。実に志が高いです。

          (つづく)
 
                                           2016年5月1日


                                           板橋大山教会 上垣 勝




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