ガリラヤ弁のペトロ


                 会場 板橋大山教会  板橋区氷川町47-3
                  (地下鉄三田線板橋区役所前」徒歩5分。東武東上線「大山」駅から徒歩7分)

                 地図はhttp://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif
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                                                焚き火にあたるペトロ (中)
                                                ルカ22章54―62節
        

                              (2)
  「するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。 しかし、ペトロはそれを打ち消して、『わたしはあの人を知らない』」と言ったのです。

  彼女は焚き火に赤く照らし出されるペトロの横顔を見て、何かを思い出そうとじっと見つめ続けたのです。「じっと見つめ」とある言葉は、元のギリシャ語では、「睨みつける。刺すような目で見る」という意味です。

  暫らく睨みつけていたが、彼女はハッと気づいて、「この人も一緒にいました」と叫んだのです。周りの者らは一斉に顔を挙げ、女中を見て、そのまま彼女が指さす男を見やったでしょう。

  だが、ペトロは直ちに打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言ったのです。その声がイエスの耳に入ったかどうかは分かりません。ただイエスが縛られている所までは僅か50歩と離れていなかったと言います。もしかするとこの時、中庭の近くを横切ったかも知れません。ペトロは、自分の口からまさかこんな言葉が出ようとは思いもよらず、動揺したでしょう。気付いてみると、ためらうことなくそう断言していたのです。

  女中はイエスの噂を聞いて、買い物か何かの使いのついでに少しサボって見に行ったことがあったのでしょう。神殿の境内か、もっと遠くまで好奇心に駆られて見に行った。その時、確かこの男も混じっていた。彼女は、イエスの仲間はどんな男たちかと興味を持っていたのです。「この人も一緒だった。」この重大発言に人々の間にざわめきが起きました。

  ペトロが素早く打ち消したので、一旦その場は静まりました。だが緊張が解けたかと思ったのも束の間、別の男が、「俺も思い出した。お前もあの連中の仲間だ」と同意したのです。ペトロは前より力を込めて、「いや、そうではない」と打ち消しました。

  ペトロは女中から言われた時、すぐにこの場を去ろうと思ったでしょう。だがまずい立ち去り方をすれば却って怪しまれます。チャンスを掴もうとしたがうまく見出せなかった。そこへ、第2弾が飛んで来たのですから、「いや、そうではない」と言う以外になかったのです。むろんこの男もギョロ目でペトロを睨んだでしょう。嘲りの目付きも混ざっていたかも知れません。

  ただ、ペトロは臆病者ではありません。警戒厳しい大祭司の庭まで勇敢に入りこんだのです。主を一人に出来ず勇気を持って近づいたのです。臆病者の誰がこんな無謀な事をするでしょう。この場にいる者らは皆大祭司の手先です。異分子は彼一人。多勢に無勢。どんなに熱血漢でも情勢の挽回など出来ません。「いや、そうではない」「自分はイエスの仲間ではない」と言うのに精一杯です。

  その言葉が功を奏したか、その後は誰も彼のことを取り上げなかったようです。だが、もう外に逃げ出すのは殆ど無理です。庭にたむろする者らはほぼ全員、自分のことを知って監視しているからです。1度目の女中の時はまだよかったが、2度目の後は、もう金縛りにあったかのようにその場に釘付けされて動けなかったでしょう。

                              (3)
  その後ずいぶん時が経ったように感じました。庭の者たちの話題は次から次へ移りペトロを睨む目も少なくなりました。そろそろ立ち去れる時期かも知れません。

  ところが1時間程して、また別の者が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と、鬼の首を取ったかのように大声で「言い張った」とあります。ペトロはガリラヤの漁師です。酷い訛りがあります。しゃべれば、どこの訛りかおよそ見当がつきます。

  秋田ご出身のAさんは何十年おられても未だ訛りを残しておられます。家内も大阪弁が出ます。Bさんもやはり神戸風。Cさんも、Dさんも、Fさんも、それぞれどこかお国訛りのいい香りがします。東京は地方出身者の集まりです。ましてや当時のガリラヤの漁師が何度かエルサレムに来ただけでは、エルサレム風になど発音出来ません。

  ペトロは本当は、ガリラヤ弁で女中に向かって、「オラ、そげな人、知らネ」と訛ったかも知れません。男に対しても、「オメの言うごだ、まちげだ。そんでねェ」と言ったかも知れません。

  訛りのことで言われたら、もう観念するしかありません。それでも彼は必死に、「オメの言うこだ、俺には、分がらネ」と、ガリラヤ弁丸出しで言ったんじゃないでしょうか。標準語が使えても緊張すると訛ってしまう。マルコ福音書では、彼は、「呪いの言葉さえ口にしながら、『あなた方の言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」となっていて、何とかして逃れたいと懸命にもがく様子が書き留められています。

  言い終わらぬうちに、突然、一番鶏が鳴いたのです。それを聞いて、「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた」と書かれています。


       (つづく)

                                          2016年4月10日



                                          板橋大山教会 上垣 勝




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