「否」が世の光です


            「グローバル時代の救世主、それが日本国憲法」。本当にそうだと思いました。
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                                                闇が力を振るう時にも (下)
                                                ルカ22章47‐53節
       

                              (3)
  イエスは最後に、「今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている」と言われました。

  すべてのものには時があり、今はあなた方の時、闇が力を振るう時だと言われたのです。イエスは闇の勢力、権力を、悪が勢力を振るい、祭司長らの闇の行動の背後にサタンが働いている事を見られたのでしょう。

  イエスは、悪に対しては悪であると指摘されます。見逃されない。悪を善と言い、悪に対し目をつぶられません。日本的な赦しはしばしば目をつぶり、水に流し、在ったことを無かったことにします。だが在ったことはどんなに過去になっても事実在ったことです。在ったことを無かったとすれば歴史は無くなります。それでは過去の手痛い失敗や過ちが意味をなしません。折角失敗で得た高価な犠牲が無に帰します。

  イエスにとっては裁きがあります。イエスには赦しがありますが、その赦しで過去がすっかり消えて無くなることではありません。無くならないからこそ、赦しの貴さがいつまでも生き続け、感謝も喜びも永続するのです。

  今は闇の時、祭司長たち、神殿守衛長たち、長老たちの時です。彼らの力は冷たい死の力です。闇の力。そこに愛と誠はありません。あるのは平和に似た擬似的な平和だけです。彼らは宗教家らしい礼儀正しさ、恭(うやうや)しい顔を持ちながら、夜の闇にまぎれて凶暴に悪をなすのです。

  イエスは断固、それに否を語られます。この否が闇に輝く世の光です。ここでは、否によって暗闇にまことの光を灯されるのです。この光は決して闇に屈せず、闇はこれに勝つことは決してありません。闇の力はいかに強大でもあだ花に過ぎません。あだ花であるのは、既にその根っこが摘みとられているからです。

  「光は闇の中で輝いている。闇はこれに勝たなかった。」ヨハネ福音書1章はそう語っています。ヨハネ福音書のこの言葉は、「今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている」としても、闇は光に決して勝てないことを告げています。「闇が力を振るう時にも」、光は輝いているのです。イエスが、「あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」と語られた通りです。キリストは必ず最後的に勝利します。

  イエスはユダの裏切りの結果、逮捕され、大祭司の官邸に連行されます。しかし、「闇が力を振るう時も」、堂々としておられます。最後的勝利を既に手にしておられるからです。暗い夜であり暗い時代です。だがイエスは堂々とし、主体的に悠然と立っておられます。彼らはイエスを逮捕しますが、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」と語られたお方は、揺るがぬ真理を持って堂々とどこでも歩まれるのです。

  まるで荒磯の岩に砕けて飛び散る波のように、逮捕の時にも、ここに厳然と不動に存在するお方がおられることを福音書は告げています。繰り返しますが、それはたとえ闇の時も、闇の中でも光が存在し、何ものも滅ぼせない光であるからです。

  真理は滅ぼすことはできません。真理は命を持ち、たとえ滅ぼされたかに見えても再び蘇って来ます。

  最後にユダについて触れて終わりましょう。ユダの中にサタンが入ったと22章初めに書かれていました。彼はサタンに抵抗することが出来なかったのでしょうか。しぶとく抵抗し、こらえ、イエスから教えられた「主の祈り」を持って、試みに遭わせないよう、サタンが入り征服されないように、七転八倒しながら祈ることが出来なかったのでしょうか。だが彼はそれをしないのです。

  私たちは、これはサタンの仕業だと言い逃れてはなりません。サタンには太刀打ちできないと、最初からサタンとの戦いを放棄して、悪に加担してしまってはなりません。

  ヘブライ書12章に、「罪と戦って、血を流す程に抵抗したことがない」とありますが、彼はずっと手前で降参してしまった。罪の誘いへと、サタンへと投降してしまった。そこに彼の問題があったと言えるでしょう。

  だが彼にさえ、最後の最後までキリストの光が届いていたのです。彼は最後の晩餐でイエスからパンを受け取っていることからも、彼にも神の憐れみが十分に分かたれていたことが分かります。だが、彼はイエスの恵みを、憐れみを、振り切り、それを捨て、不要としたのです。そこに彼の悲しむべき最大の問題があったと言えるでしょう。

         (完)

                                          2016年4月3日



                                          板橋大山教会 上垣 勝



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