富の道を捨てたが


               テゼの友人夫婦(ドイツ+ポルトガル)に子どもが生まれました   右端クリックで拡大
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                                                  リュックと財布とナイフ (上)
                                                  ルカ22章35―38節


                              (序)
  「リュックと財布とナイフ」という題ですが、Aさんは、リュックと財布と「水」の方がいいそうです。災害時の準備用品をお考えなのでしょう。「リュックと財布とナイフ」で連想するのは、災害時やピクニックや山登りでしょうか。こんな題を見れば道行く人は、怪訝な顔で行くかも知れません。しかし皆さんには、リュックと財布とナイフ以上に大事なことをお話させて頂こうと思います。

                              (1)
  今日の聖書は難解な個所の1つです。初めに、「それから、イエス使徒たちに言われた。『財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。』彼らが、『いいえ、何もありませんでした』」とありました。これはルカ9章に記された12弟子たちの派遣、初めて町や村に2人1組でいわば伝道実習として派遣された時のことです。

  その時、「財布も袋も履物も持たず」に派遣されたが、イエスが聞かれたように、何も不足しませんでした、一切の必要が満たされて伝道出来たのです。民衆の感謝やお布施で生活が出来たからです。

  イエスが、その時のことをお聞きになったのは、今、十字架へと向かい、弟子たちを残して世を去ろうとしているこの時、もう一度彼らに、イエスが派遣される伝道において、一切が備えられること、不足は決してないこと、思い煩わず使命に生き、神の国の福音を宣べ伝えればいいことを再確認させるためでしょう。いずれにせよ、弟子たちは口を揃えて、「不足することは何もありませんでした。十分足りました」と答えたのです。

  イエスは今彼らに何をしておられるかと言えば、ご自分の死後、アドナイ・エレの信仰、「主の山に備えあり」の信仰を持って生きるように教えるためです。

  アドナイ・エレの信仰とは、創世記22章の故事に由来します。主なる神は残酷にも、アブラハムが百才の時に生まれた一人息子イサクをモリヤの山に連れて行き、燔祭として献げよと命じられたのです。彼は心の中で激しく葛藤しつつ、翌朝早く、息子に薪を背負わせて山に向かい、山頂で祭壇を作り、彼を縛って祭壇の薪の上に乗せて今まさに刃物で殺さんとします。恐ろしい場面です。だがその時、天から主の使いが、「アブラハムアブラハム。その子に手を下すな、何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かった。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」という言葉を聞くのです。息を飲む瞬間です。

  アブラハムは驚いて辺りを見回すと、後ろの茂みに一匹の雄羊が角をとられて動けないでいました。それで雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす燔祭として献げました。そこでその山は、「主の山に備えあり(アドナイ・エレ。新共同訳ではイエラエとなっています)」と呼ばれるようになりました。

  「アドナイ・エレ」。今ではこの信仰はキリスト教に深く根づいていますが、これはイエスの誕生よりも遥かに遠い時代に根を深く持つ大事な信仰の一つです。

  今日はBさんが司式を担当して下さっています。先程は大震災から5年、「苦しみを持つ人たち」のことを祈られましたが、Bさんご自身が、危険な状況に今置かれているご主人のことで苦しみを抱えておられ、他の人なら気が動転して司式が出来ない状態かも知れませんが、こうして司式を勤めて下さるのは、すっかり献げ切っておられるからだと思います。「主の山に備えあり」という信仰をもっておられるから、ジタバタせず、落ち着いて司式をして下さるのです。

  私自身の事を振り返りますと、牧師になって約45年になりますが、今思えば、45年間何も不足しませんでした。「主の山に備えあり。」そうきっぱり言うことが出来ます。

  だが振り返って恥じることがあります。それは、もっと大らかにイエスに信頼しておけばよかった、もっと明るく大胆に生きれば善かったという思いです。伝道者になる前のまだ学生時代に、思い出しますが、銀座4丁目の三愛の喫茶店で、彼女とお茶をしました。彼女とは彼女です。「伝道者になれば貧しい生活が待っている。それでもいいですか?」と、恐る恐る聞きました。逃げられちゃ困りますから。また、まだこの人は本当に分かっているのかという不安もあったからです。

  ところが45年たち、「主の山に備えあり」だったのです。決して不足することなく、全て備えられていたのです。

  丁度、妻がこの場に見えませんので手早く申しますと、個人的なことになりますが、彼女は当時、唯一の外為銀行に勤めて、将来有望な青年たちと交際していました。外国為替銀行に首席で入社したのですから、普通の女性なら、その後は外為銀行の重役夫人にきっと納まったでしょう。今の○○○○銀行です。今も英語では、The Bank of ○○,○○…と、日本銀行と共に世界に名が知れているので、英語名では○○銀行の名の方が最初に来ています。

  だが彼女は同僚の女性が皆、上へ上へと目指し、出世を目指しているのに、この世の富の道を捨て、金と無縁の道に進み、やがて望んで在日韓国・朝鮮人が多く、日本一公害が酷い川崎の小学校に志願して勤め、やがて一生貧しさが待っていると言う伝道者の妻になる道を選びました。彼女は進んで富や地位を捨てたと思います。後ろを振り返りませんでした。今は少しの地震にもびくびくする弱い女子(おなご)ですが、青壮年時代は大胆で勇気がありました。

  いずれにせよ、「主の山に備えあり。」決して多くもなく、少なくもありませんでした。神によって備えられたのです。ですから、あんなに緊張する必要はなかった。神は備えられるのだと、今になって本当に思います。

  もし皆さんの中に伝道者の道を考える方があるなら、この道に掛ければ、掛ければですよ、その方にも「主の山に備えあり」という言葉が成就すると思います。ただそれに全身掛けないなら、そうならないでしょう。

  言葉を変えれば、今日の求道者会で教会のステンドグラスのご説明をしたのですが、2階のステンドグラスのテーマは、「お言葉通りこの身になりますように」という母マリアの信仰です。マリアのこの信仰を持って私たちも進めば、必ず満たされるでしょう。「主の山に備えあり」なのです。母マリアは息子の死に直面します。だがそれによって、世の救いが成就する道を彼女は選び取ったのです。

  イエスはここで、先ずそのことを弟子たちに語られたのです。

        (つづく)

                                           2016年3月13日


                                           板橋大山教会 上垣 勝



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