大空を仰ぎ、神を想う


                          右がサン・ジャック塔           右端クリックで拡大
                                ・



                                                   大空を仰ぎ、神を想う (上)
                                                   詩編19編1-15節



                              (1)
  私たちが毎週こうして教会に集るのは、私たちの命の源なるお方を仰ぎ、今の時代をそれぞれの仕方でしっかりと生きるためです。そのことを覚えて礼拝を致しましょう。

  この詩編19篇は前にも取り上げましたが、今日はまた別の観点から読んでみたいと思います。この詩編は、輝きに満ちた詩編です。2つの面から神の業を黙想しています。

  1つは、言葉で表わせないほど美しい、意味に満ちた大空と天に広がるコスモス、大宇宙です。「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」古代のこの信仰者は、何と雄大な信仰をもっていたのでしょう。人間は主なる神の悠久な、果てしない愛に包まれています。実に簡潔に、全能の神のみ業を捉えています。著者はダビデとなっていますが、この信仰者は自然哲学者であり、雄大なものの奥を洞察できる素晴らしい詩人です。

  湿度の少ない砂漠地方では、空気はひと際(きわ)乾燥して澄み、星座は頭上近く手に触れるかと思えるほどにあって燦然と輝き、夜空にちりばめた美しい細かい宝石のような星座は、誰もが息を凝らして見とれます。その無数の星々が、北極星を軸にゆっくりと頭上で大きく回転するのが見え、圧倒させられるのです。

  そして昼、草原に寝ころび、空を仰いでまた驚きます。「昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」空も雲も風も一言も語りません。沈黙し、悠然と雲は流れ、千切れたかと思うと一つになり、一つになったかと思うと変形して、絶えず移り変わり、沈黙の美しさで野山を満たしています。大空はまるで神の心を映す巨大なスクリーンです。

  「声は聞こえないのに、その響きは全地に。」静寂の中で、沈黙の言葉、沈黙の響きが地の果てにまで向かっているのです。これ程対象に真摯に向かい、対象を的確に捉えている眼を知りません。詩人ですがまるで科学者です。

  著者がダビデなら、羊飼いの彼は、大空に羊雲が現われ移り行く様を見つめ、夜間は静かに全地に満ちて、世界の果てにまで向かう神の言葉に思いを馳せていたのでしょう。

  私たちは時々、沈黙の内に野山を歩くべきです。先週は里山を歩いて遠回りして白十字ホームにまいりました。背の高い落葉樹はすっかり葉を落とし、全山、毛細血管のような小枝が天に向かって手を広げています。小鳥が何かを銜(くわ)えて運んでいます。巣作りを始めたかも知れません。土はふかふかし、落ち葉は所々5cmもあり、気持ちよく歩ける自然の絨毯(じゅうたん)です。歩きながら思索し、祈ることができます。ダビデも沈黙の内に大空を見つめ、星を仰いだに違いありません。

  被造物の世界は、多くの意味に溢れ、多くの知識や情報を発信しています。科学は、一片(ひら)の雲の流れを解明して、驚きの発見をします。その雲は海の蒸気に由来し、それは元は太陽から来る熱に由来し、水蒸気の発生は別の原因からも起こります。そして地球大の規模で蒸気が流れ、拡散し、対流し、風となり、大風となります。1つ1つ解明すれば、雲の一片、気流の流れ、雨や雪、雷や雹(ひょう)からも多くの知識が何千年も世から世へ伝えているのを知るでしょう。

  先日は、宇宙のかなたから届けられる重力波が初めて観察されたとビッグ・ニュースとして報じられました。アインシュタインが予言した微細なだが重大な情報をもたらす波です。これも神の造られた御手の業、無数の被造物の1つです。

  自然現象。それはすべて神のみ手の業です。雲は一時(ひととき)として留まることはありません。神は生きておられ、今も新しく創造しておられます。神の知恵は数え切れず、知り尽くし得ません。

  「そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。太陽は、花婿が天蓋から出るように、勇士が喜び勇んで道を走るように 天の果てを出で立ち、天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。」太陽が、陸上のチャンピオンが国旗を背になびかせ、意気揚々とトラックを一周するかのように、天の端から天の端まで、日々、私たちの天空を掛けて行きます。その恵みの熱に与らないものはありません。

  そして自然現象が指し示す中心、無数の自然現象を探る中で次第にフォーカスして行くのは、並はずれた多様性の美しさの中のシンプルさ、単純さです。しかも自然世界が私たちの感覚を遥かに超えている事です。その美しさは天地の創造者であるお方の秘められた奥深い神秘、秘義、偉大さを指し示しています。

  宇宙には沈黙の言葉が満ち、地の果てから地の果てまで、静かに呼び交わしていると言うのです。神が被造物を通して語っておられる。それは全ての人々、地上の全人類に語られています。

  先日、テレビで、大久保にある聾唖者の多くい行く風変わりな飲み屋が放映されていました。カウンターが料理人を囲むようにして大きなロの字型になっていて、お客は皆顔が見えるようにカウンターにかけて手話で話しているシーンでした。

  この飲み屋が普通の飲み屋と違うのは、普通は隣の人と飲んで話しますが、隣の人だけでなく、離れた真向かいの人とも、筋向いの離れた人とも話せるのが手話の会話で、その手話を見ていて、また別の人が別の場所から話に加わって来ます。この飲み屋には声がなく静かで、声は届かなくてもこんな活き活きしたコミニケーションがあるのだと知り、新鮮でした。天に満ちる言葉も、天と地が呼び交わし、山と丘が頷(うなず)き合い、森と川が歌を楽しそうに歌い合う。この信仰者はそんな素晴らしい現象を洞察しているのです。

  神が大自然を通して語られることは、地上の全人類に開かれています。背景がどんな人でも、国や民族や教育、宗教がどんなに違っても、どんな貧しい人にも、肌の色も越えて、本来例外なく全ての人に語りかけています。

  2節から7節は、自然を通して語っておられる神の言葉に耳を向けているのです。この信仰者は素晴らしい耳を持ち、み声を聞いているのです。このような良い耳を持ちたいと思います。

  讃美歌を一つ歌いましょう。♯ 呼ばれています いつも。聞こえていますか、いつも。 はるかな遠い声だから、良い耳を、良い耳を持たなければ ♯


          (つづく)

                                           2016年2月28日




                                           板橋大山教会 上垣 勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif



                               ・