何の上に人生を築くか


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                                              人生を何の上に築きますか (下)
                                              ルカ22章24-30節


                              (2)
  「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」神の国の基準はこの世の国の基準と違うのです。

  もしキリスト教の中に上位争いが入って来るなら、イエス様は教会に、「そんなことがあっちゃならねえ」と言われるでしょう。教会の中で、地位や巨大組織が重視されるとすれば、塩味を失った塩として魅力を無くし、掃き捨てられるでしょう。

  イエスは、「一番偉い人は、一番若い人のようになれ。」即ち、リーダーはサーバント、僕であれと言われたのです。ただ、誤解してはなりません。仕えることによって一番になれと言われたのではありません。そうなら、俺が一番熱心に仕えている。一番自分を捧げているのは俺だ。だから俺が一番偉いということになるでしょう。弟子たちに起こった議論はそれです。誰が一番イエス様に奉仕しているか。自分を捧げているか。「自分だ」と論争している訳で、奉仕によって一番になろうとする。人間というのは、低くなることによってすら高くなろう、上に立とうとします。

  イエスは、ペコペコしなさいと言っておられるのではありません。それはお追従(ついしょう)です。また、人がしない下働きすることで目立つ者になれというのでもない。イエスは、見てもらおうとして善行をするのを厳しく禁じ、それは偽善だと言われました。

  リーダーはサーバントであれと言われたのです。近頃は公僕という言葉が使われません。明治憲法と違って、日本国憲法下で、国民に公に仕える者を公務員、すなわち公僕と呼ぶようになったのです。広い意味では国会議員も大臣も首相も公僕です。憲法を守り、国民に仕えなければならない。首相が率先して憲法改正を唱えるのは、憲法違反になりかねません。

  ロックフェラー財団というのがあります。その奨学金で戦後幾人もの優秀な日本人がアメリカに留学しました。戦後の財団には色々の説が飛び交いますが、それとは別に初代のロックフェラー1世はアメリカの石油王でしたが、社長室は他の社員がすっかり帰った後も赤々と遅くまで電気が灯っていたそうです。

  私はモーレツ社員を勧めるのではありません。彼は地元の教会の熱心なメンバーで、忙しい中でも教会学校に奉仕し、役員や教会の事務もし、教会の門番までしたそうで、心から人に仕える人であったと言われています。生涯、信仰を基に人々に仕えたのです。彼は成功の秘訣は奉仕にあると確信していました。

  本当に高い所に登る人は、他の誰よりも仕えることに徹しています。それも下心のない、真心のこもった奉仕。喜び、感謝して奉仕するのです。自発的な奉仕が喜びなのです。それが最後に良い実を結ぶのです。地位が高くなればなるほど、上に上がれば上がる程、謙虚な奉仕者であるべきです。神はそれを祝福されます。自分が得をするためにうまく立ち回るのは、長い目で見て神は祝福されません。

  イエスは、「自分を得ようとする者はそれ失い、私のために命を失う者はそれを得る」と言われました。私たちは人生を何を土台に築こうとするのでしょう。手に入れることの上に築くのか、それとも与えることの上に築くのか。自分が得するように、獲得することの上に人生を築く者は、やがて友を失い信頼をも失うでしょう。自分の事に熱中する者を愛する者はどこにもいません。(W.バークレー)。自分の事にだけ熱中する者を愛する者はいません。男女関係でも、仕事でも、社会でも、神との関係でも同様です。

  隣人のために、弱い人のために命を失う者はそれを得るのです。昨日の新聞に、話題の人としてジョシュ・アーネストというアメリカ大統領報道官兼補佐官が取り上げられていました。なぜその人が民主党になったかとの質問に、自分の母の妹、即ち叔母さんはダウン症だった。自分はお婆ちゃん子で、お婆ちゃんが、自分がいつも民主党に投票するのは、民主党は弱い人のために政治をしてくれるからだと話していたからだ。それが決定的に自分に影響を与えたのだと述べていました。子や孫への関わり方においても、私たちは世界に、社会に関わり弱い人に仕えることが出来るのです。

  28節には、「あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一諸に踏みとどまってくれた」とありました。弟子たちへの感謝が率直に書き留められた貴重な個所です。今、眼の前に試練が迫っている時、これまで仕えて来てくれた弟子たちに感謝を語られたのです。イエスは神にだけ感謝された方ではありません。人にも心から感謝をされました。「これはコルバンです。神のために捧げるものですと言えば、親には何もしなくていい」と言うのは間違いだと言われたことがありました。あれと同じ内容です。

  「イエスと共に踏み留まる。」これがどんなにかイエスを励ましたかが窺(うかが)えます。イエス人間性が活き活き感じられる言葉です。

  最後にイエスは、「わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったよう に、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの12部族を治めることになる」と言われました。

  意味を取り難い言葉です。イエスは、ご自分と生死を共にする者は、やがて共に王座に就くだろうと言われたのです。これは12弟子への言葉でしょう。私などは12部族を治める力はありませんし、そんな大それたことは望みません。

  ただ、もし真にそうされるのに相応しい人があるなら、それは下心なく、真に人に仕える人。野心なく、ひたすら純粋に人を愛し、他者への思いやり、特に弱い人、ハンディがある人への思いやりを持って仕える人でしょう。そういう人にこそリーダーとして人の上に立ってもらいたいと思います。

        (完)

                                           2016年2月21日



                                           板橋大山教会 上垣 勝



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