私たちの秘密兵器(上)


                        久しぶりのお富士さんでした          右端クリックで拡大
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                                                  私たちの秘密兵器 (上)
                                                  ルカ22章14-23節



                              (序)
  道路際の今日の礼拝看板を見た人は、教会は何か秘密兵器を隠し持っているのかと思ったかも知れません。何人かの方から、「『私たちの秘密兵器』って、どんな兵器ですか」と聞かれました。それで、「秘密です。礼拝にいらっしゃれば分かります」と答えておきました。戦前ならかなり疑わしい目で見られたでしょう。検挙されなくても、憲兵が動いたかも知れません。ですから、この点でも決して戦前の日本に戻してはならないと思います。

  憲法9条ノーベル平和賞をという運動がここ数年続けられています。今年は去年の2倍の推薦人を得て平和賞にノミネートされ、署名も増えています。世界を見渡しても日本国憲法のような高邁な非戦平和の精神が貫かれた憲法は少なく、憲法9条ノーベル平和賞に輝けば、世界全体にとっても平和を生み出す貴重な一里塚になるに違いありません。「平和を実現する人々は幸いである」と語られたイエス様の精神が一段と世界に普及するでしょう。

                              (1)
  さて今日の最初に、「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった」とありました。「時刻になったので」と、除酵祭や過越祭の開始時刻をいかに大事になさったかを窺わせます。

  10時半、時刻になったので礼拝が始まります。礼拝は説教から始まりませんよ。前奏からです。昔は、「父、み子、みたま、信者」と揶揄して言われました。最後の「父、み子、みたま」の頌栄を歌う頃に礼拝に来るしたたかな信者です。何年しても信仰は深まりません。しかも遅れて来るのに、何かの時には大きな声で発言するのです。しかし、「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれた。」イエスは時間を守られたのです。

  「使徒たちも一緒だった」とあります。過越の食事は家族単位でとりました。「使徒たちも一緒だった」とわざわざ言われるのは、弟子たちはイエスの神の家族として過越の食事をしたということです。

  その席でイエスは、「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない」 語られました。

  イエスは十字架に磔になる前のこの食事を、「切に願っていた」と、待ち焦がれていたようですが、イエスと共にするこの過越の食事には大切な意味が隠されており、その隠れた意味を弟子たちが予め知っていて欲しいからで、結論を言えば、この過越の食事は弟子たちに不滅の希望を授けるもの、いかなる環境の中でも希望の秘密兵器を与えるものになるからです。人々を殺(あや)める秘密兵器ではありません。どんな人にも命を与え、慰めと希望を授ける隠れた武器になるからです。

  「切に願っていた」のは、日常的にもまた万一の場合にも、この秘密兵器が弟子たちの生きる武器となって働く力を持つからです。

  そして、「言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない」と言われました。

  この食事は、今ただ一回限りの食事だというのです。この一回が物を言い、命を持つということでしょう。神の国、即ち神様の前に、犠牲の動物でなく、まことの過越に必要な傷のない神の子羊・キリストが献げられることにより、すなわちご自身が磔になることによって成し遂げられるまことの過越まで、二度とこの食事をすることはないと言われたのです。

  言葉を変えるなら、イエス・キリストは、十字架に付いて神にこの身を献げますと固い決意を語られたのです。しかもその決意は悲壮な中でなされた決意でなく、次の17節にありますように、「イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えて」なされた感謝の決意です。

  十字架にお掛りになるという、常識では顔が引きつるような苦難の杯を、感謝して受けお飲みになろうというのです。磔を感謝して受け取ろうとしておられる。これは驚くべきことです。別の視点から言えば、父なる神が私を裁き、私を裁くことによって信じる者を救って下さると、神が決意下さるまでは、私は決してこの食事を頂きませんということです。このように、イエスが磔にされて、全ての人のために肉を裂き、血を流して、真の過越、信じる者への罪の赦しの過越が成就するまで、再びこの食事をしない。非常に重大な宣言と言ってよいでしょう。

        (つづく)

                                           2016年2月7日


                                           板橋大山教会 上垣 勝



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