自分は生き延びたい


整然と積まれて壁になって延々と続きます。石ころに見えるのは大腿骨の関節部分、タテに積んでいます。頭蓋骨が2列に並べられています。上部は色々な骨が雑多に積まれています。            右端クリックで拡大
                               ・


                                                  イスカリオテのユダ (中)
                                                  ルカ22章1-6節



                              (1)
  さて1節は、「過越祭と言われている除酵祭が近づいていた」とありました。これらの祭りが目前に迫っていたのです。「過越祭」とは、エジプトからの解放を記念して、春分の日の後の満月の14日の夜に行う食事が中心で、これが「除酵祭」です。その翌日、15日から1週間「過越祭」が続きます。小羊の血が門に塗られているユダヤ人たちの家を、主が過ぎ越されたのを記念して祝われました。ユダヤの3大祭りの1つです。

  その祭りが目前に迫る中、「祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた」のです。またイスカリオテのユダに「サタンが入った」と言うのです。

  福音というのは喜ばしい訪れ、グッド・ニュースです。それにも拘らず、今日の所には非常に恐ろしい、こんな陰険な陰謀が記されるのはどうしてでしょう。もっと嬉しいことや喜べること、心が軽くなることを書くべきではないでしょうか。だが福音書は、人々を満足させ喜ばすようなことを書こうとしません。それは新聞やテレビや色んな商売や宣伝と違って、聖書は人に迎合しないからです。ただ真理のみを証しするからで、きれい事を告げるのでないからです。

  すなわち、イエスの福音は現実社会から少しも遊離せず人間と社会の真理や真実な姿を告げようとするからです。

  「除酵祭」には、漢字から想像できますように、酵母を入れずに焼いたパンを食べます。この祭りは別の名を、種入れぬパンの祭りと申しまして、不純物であるイースト菌の入らない、純粋な小麦粉だけで作ったパンを焼いて食べる祭りです。

  その祭りが目前に接近していた時、祭司長たちや律法学者たちは、ユダヤ社会からも異分子を取り除き、粛清し、社会を純化してこの大祭を迎えたかったのでしょう。

  そこで、祭司長たちや律法学者たち、ユダヤ社会の重鎮たちは、宗教家たちですよ、イエス殺害計画を相談していたのです。過越祭はユダヤ教の3大祭りの1つです。キリスト教で言えばクリスマスやイースターペンテコステのようなハレの時です。除酵祭は前夜祭ですから言わばクリスマス・イヴです。

  そのユダヤ教の最も厳粛な儀式を迎える時に、イエス殺害方法を相談している。とんでもないと思いますが、それが人間の罪の姿であると聖書は語っているのです。まさにサタンの仕業ともいうべきことです。

  何かの小説の場面で、腕の立つ外科医が難しい手術の執刀をしていると、その最中に、今夜会おうとしている若き女性との密会の場面を思ってニヤリとするのです。ところが、この名医の傍にいる何人かの若い医者たちや有能な看護師たちは、その一瞬の名医の笑顔を見て、手術が成功した徴のニヤリだと思ってホッとするのです。

  危険な大手術は言わば聖域でしょう。その聖域が言わば罪で汚されている。そんなことを訴えたいのでしょう。ですから、この重鎮たちはユダヤ教だからというのでなく、私たちもこの重鎮たちと同じような姿をしているということです。人の罪はいかにも深いということです。

  イエスは山上の説教で、慈善や施しについて語って、「右手のしている事を左手に知らせるな」と戒められました。だが右手のする事を左手が気づかぬ筈はないのです。それ程に自分の善行に注意しなさいと戒められたのです。人は自分の善行を誇るという罪が、存在にこびりついているということを示唆しています。

  ユダヤ教の重鎮たちは民衆を恐れて殺害計画をこっそり練っていたのです。今だという好機を狙いながら、手の内が民衆にバレないように秘密裏に行うわけで、虎視眈々とチャンスを狙う人々の暗い罪の姿がそこにあります。

  ここを読むと、今、衆参同日選挙が得か否か。我ら政権党に有利か否かと、65才以上に3万円を支給して憲法改定に乗り出す時を狙っている人たちを思わずにいられません。彼らも民衆や国民の様子を窺(うかが)っています。時至れば、奔流のように怒涛をなして憲法改定に乗り出そうとしているのでしょう。ただ、これに危機を感じて、何人もの知人らは次の選挙に勝たせてはならないと声を上げています。

                              (2)
  丁度その時、12弟子のひとりのイスカリオテのユダという、イエスの群れの会計係、イエスの近くで重責を負っていた者が寝返るのです。イエスを金銭で売り渡します。「ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた」とある通りです。

  今や大きな山場を迎えました。イエスの弟子の一人の訪問に、「彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた」のです。「ユダの中に、サタンが入った」とも書かれています。4章には、サタンは荒れ野で、イエスにあらゆる試みをしましたが失敗して、「時が来るまでイエスを離れた」と書かれていますが、再びサタンがイエスに忍び寄ったのです。

  ユダは、密告すればイエスが逮捕されても、自分は生き延びれると思ったのでしょうか。少しでも成功報酬を得て、生き延びようとしたのでしょうか。一説では、イエスの逮捕が迫れば、イエス自身が政治的メシアとして多くの民衆と政治的に蜂起して革命を起こすだろう。そう考えて、彼はイエスを革命へと促すために、売り渡す場面を作ったと言われたりしますが、余りにも大胆な仮設です。

  いずれにせよ、彼らは金を渡そうとしますが、原文では金貨でなく銀貨です。ユダは足元を見られて値踏みされたのです。

  両親や祖父母、伯父叔母など尊属殺人は重罪です。自分の恩師を殺すのも重い罪です。これは自分自身を殺し、自分の過去の思想の全否定になります。やがてユダが自殺するのは当然の成り行きでした。

      (つづく)

                                    2016年1月17日



                                    板橋大山教会 上垣 勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif



                               ・