たくましく生きよう
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イスカリオテのユダ (上)
ルカ22章1-6節
(序)
先程、まだクリスマス・ツリーを飾るのですかと司会者から聞かれました。ええ、そうですよ。今はまだクリスマスから1カ月も経たず、教会暦は降誕節ですから、世の人はとっくに忘れていますが教会ではまだツリーを飾っていいのです。しかし今日のルカ22章からは、受難週の木曜から金曜日の受難の日の出来事が書かれていますので、聖書は一足早く受難週の個所を迎えることになります。
ただ最初のクリスマスは、彼らが宿屋に泊まる余地はなく、家畜小屋の飼葉桶でイエスは貧しく生まれましたし、その後すぐヘロデ大王は幼子イエスを殺すために、ベツレヘム一帯の2才以下の男児の皆殺しを命じましたから、クリスマスからすでにイエスの受難の歩みが始まり、言わば受難節がクリスマスから始まっていたのです。クリスマスに使われる赤色は、人は装飾のためと思うでしょうが、イエスの血と苦難の徴です。
ただ、聖書は不思議とそのことを深刻に受け留めていませんし、聖家族自身も深刻そうな姿をしていません。むしろこういう中でも、「幼子は逞しく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」と、逞しい明るい書き方でイエスの成長を書き留めています。
ここから教えられるのは、私たちも現実をしっかり見ながらも、神経質になって何かを恐れたり、息が詰まるような生き方でなく、もっと心が解放されて、もっと神に信頼して逞しく生きていいのでないかと言うことです。神の恵みに単純に信頼して、将来への悲観的見方でなく伸び伸びと明るい態度で生きていきたいということです。
信仰とは神への信頼以外ではありません。神に実際的に信頼し、神が道を拓いて下さることを単純に信じ、思い煩いを委ねて生きることです。そういう単純な素朴なあり方が大事だと思います。
(つづく)
2016年1月17日
板橋大山教会 上垣 勝
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