その結果、心が鈍ります


                 カタコンブに至るトンネルが長く長く続いていました。     右端クリックで拡大
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                                                   目覚めて祈る (中)
                                                   ルカ21:34-38
         

                              (1)
  さて今日の所には、初めに、「放縦や深酒(ふかざけ)や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。…あなたがたは…人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」と、今の終末の時代を心を鈍らせずに生きなさい。清く、良心的に、不断に目覚めて祈れと教えられたのです。

  放縦とは日本語のニュアンスと違って、元の言葉では贅沢な宴会です。贅沢を思うままにすることや乱痴気騒ぎ、ドンチャン騒ぎをすることです。しかもそれに情事が伴うのです。それで放縦と言われます。英語聖書には、女で身を持ち崩すと訳すものもあります。酒宴の席はそういう事へ誘う淫靡(いんび)な場所に変わることがあります。

  女性のことはよく分かりません。で、男性側からの愚かな告白ですが、人間というのは弱いです。なぜかお酒が入ると、普段より女性が魅力的に見えます。目の錯覚でしょうか。血流が良くなるためか普段より美しく新鮮に見える。すると、ググッとそうなって一線を越えて行くことが起こり易いのです。不倫までは遠いですがつながるところがあります。放縦というギリシャ語はそこに至るまでのかなりの射程距離を持つ幅のある言葉です。

  深酒(ふかざけ)というのは、元はブドウ酒に酔うこと。向こうではブドウ酒ですが、アルコール全般です。大酒を飲むことです。

  生活の煩いとあるのは、些細(ささい)な事、大きな事を問わず思い煩うことです。放縦や深酒(ふかざけ)など刹那的な快楽の傍(そば)には、生活の思い煩いがあります。こういうものが互いに関連し合っています。思い煩いを紛らすために、また日頃の鬱憤を晴らすために酒を飲むというのは現代もあります。主婦でキッチン・ドリンカーになる人があります。

  結果、「心が鈍る。」心が鈍ると、生き方が雑になります。言葉は荒っぽく粗野になり、人として質が落ちるのです。それで、そうならないように「注意しなさい」とイエスは戒められたのでしょう。これは自分にも向けて話しています。人間はそうなり易いのです。

  次に、「さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである」と語ります。

  罠はパギスという言葉です。安心させておいてうまく引っ掛けるという意味です。比喩的には、予期せず突然に危険や死をもたらすものです。

  油断する人たちを、終末の日が突如襲い、罠に掛けるように死や危険で捕まえてしまう。地上の人すべてに、例外なく襲いかかり、逃れるすべはないと語ります。世の終末はまだでも、一人ひとりの終末である死はどんな人をも襲います。


         (つづく)

                                    2016年1月10日



                                    板橋大山教会 上垣 勝



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