希望の徴に目を向ける


カタコンブにはこんな標識が至る所にあります。1847年にJuncherの監督の下で第5番目に建設された柱という意味です。JはJuncherの頭文字。
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                                                   目覚めて祈る (上)
                                                   ルカ21:34-38
         

                              (序)
  暫らくルカ福音書21章から離れていましたので、先ず簡単に復習してから今日の所に入りたいと思います。

  21章は世の終わり、終末の徴が語られます。8節以下でイエスは、「惑わされないように気をつけなさい」と命じ、私を「名乗る者が大勢現われても」ついて行ってはならない。「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。…民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」が、「世の終わりはすぐには来ない」と、早まってはならないと先ず釘を刺されました。

  イエス後の弟子たちの時代に、世の終わりが来たと触れまわって人々に要らぬ恐怖を与えたり、健全な日常生活に支障をもたらす者たちが出ましたが、イエスはそのようなこと出来るだけ起きないように、歯止めを掛けられたと言っていいでしょう。

  今も難民が1年で百数十万人もヨーロッパに流入し、各地で内戦が後を絶たず、自爆テロがあり、水爆実験がなされと息つく暇もなく次から次へと難問が起こります。

  これらが世の終わりの兆候なら、勤めをやめ、保険も預金通帳も持たず、子育てもいい加減にし、ただ伝道、伝道と子供を連れて伝道する集団に入りかねません。しかしイエス様が教えるのはそういう信仰ではありません。私たちは学校に通い、会社で働き、子育てに励み、色々な計画を練り実行します。それは、今も、「世の終わりはすぐには来ない」からです。

  イエス時代から2千年経ったがまだ来ないのです。今も終末の時代です。だが終末自体ではない。明日終末かも知れない。だが今日はまだ終末ではありません。

  イエスはまた11節で、「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」と言われ、25節以下で、「太陽と月と星に徴が現われる。地上では海がどよめき、人々は、世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである」と言われました。100年に一度とか、500年に一度という自然災害を私たちは経験したり、イエスは宇宙の強大な揺れについてすら語って、人々は世界に何が起こるのかと怯え、気を失う程のことが起こると語られました。

  しかし、全てのことが起こるまで、この世界は「決して滅びない」と32節で言われたのです。また33節では、「天地は滅びる。だが私の言葉は決して滅びない」と、最後的、究極的に拠り所として信頼できるものが私たちに授けられていること。それにより頼むなら、世の些細な事も大きな事も乗り越えていけるとイエスは言われたのです。

  すなわち終末を預言しながら、究極的に寄り頼めるものは何かを語り、恐れでなく、希望の徴に目を向けて生きよと、神の国の福音を高らかに語られたのです。世の終わりという言葉で人を脅すのでなく、終末においても希望の福音に目を向けて生きよということです。非常に逞しいメッセージです。たとえ絶望に見える状況の中でも神はいます、のです。

         (つづく)

                                    2016年1月10日



                                    板橋大山教会 上垣 勝



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