喜びと共に新年を迎える


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                                               喜びと共に新年を始める (下)
                                               ルカ10章38‐42節
       

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  新年を迎えました。私たちも多くの事に思い悩み、心を乱してこの年を生きるのでなく、必要な事はただ一つだけということに留意して、心穏やかにシンプルに生きるようにしましょう。

  マリアはイエスのみ言葉に聞き入っていたのです。吸い込まれるように聞き入っていたのは、み言葉を聞くと彼女の心に確かな喜びが湧いたからでしょう。

  私たちも同じです。イエスのみ言葉を聞く生活。そこから始め、そこに根差す時に、「喜びと共に新年を始める」事が出来るのです。マリアのように主イエスの言葉に聞き、喜びが湧き出すように聞くということが最も大事なことです。その様な聞き方をするなら、この年を喜びと共に始め、感謝と共に一年を終えることになるに違いありません。内面から湧く喜びを欠いては、今迎えた一年を無駄にしてしまうかも知れません。

  繰り返しますが、日毎に新しく聞くのです。今日の一日は、昨日のみ言葉では越えられません。それは既に賞味期限が過ぎています。今日新しくみ言葉を聞くのは、今日はまた新しく砕かれなければならない自分がいるからです。砕かれてこそ、新鮮になります。「日毎の糧を与えたまえ」は物質的な糧だけでなく、もっと大事な精神的なみ言葉の糧を指します。

  日本でも画竜点睛と言います。どんなに素晴らしい竜の絵を描いても、肝心の瞳が描かれていなければ何にもなりません。仏作って魂入れずになりかねません。外形を幾ら整えても、そこに命が宿っていなければ何にもならないでしょう。

  この寒村に来られたイエスとの出会いの時は、それ程長くありません。限られています。マリアはその短い出会いの時に、最善、最良のものを選んだのです。彼女は時を逃さず、み言葉による喜びから始めたのです。

  マリアだけでなく、全ての人間には、「どんな人間的な手立てによっても満たされない孤独な闇」(Br.ロジェ)があります。だがその闇をもキリストは照らして下さり、救いをもたらしてくれるのです。心と魂の喜び、存在の喜びは心の闇がまことの光で照らされることによって元気を取り戻します。そこから生かされる時、人は力と喜びを得て生きることが出来るでしょう。

  今、世界の至る所で、難民や環境破壊やその他の社会問題が新しい課題になっています。先週いらっしゃったナイジェリアの女性は、礼拝後に話して見ると、首を切り落とし斬首する迫害から逃げて来られた方でした。過激派イスラム組織ボコ・ハラムによる迫害が激烈さを加えているのでしょう。いずれも早く手を打たなければならない大きな課題です。一旦憎悪と仕返しの悪循環が起こってしまうと、その火を消すのは並大抵な事ではありません。

  日韓関係でも、この間、従軍慰安婦問題で新しい展開がありましたが、まだ根本的な解決ではありません。もし不可逆的な解決を望むなら、例えば日本大使館前の慰安婦像を日本が10億円で買い取って、国会前に永久展示するような勇断を下さなければ決して根本的な和解や解決はしないでしょう。いずれにせよ憎悪と仕返しの悪循環が起こる前に、それが起こらぬように未然に防ぐにはどうすればいいのでしょう。

  テゼのヨーロッパ大会が、年末から元旦に掛けて、今年はスペインの南、バルセロナから少し離れたバレンシアの町で開かれました。その中でブラザー・アロイスさんは、次のように語りました。「平和は非常に深い所から湧いて来なければなりません。その源は、神が私たちに与えて下さる平和の中にあります。平和は私たちの心の内から始まるのです。平和の女性や平和の男性になるためには勇気が要ります。その勇気は福音から来ます。それは福音が授ける勇気であり、私たちを全ての人に心を開かせるように駆り立てる憐れみの勇気でもあります」と語りました。

  平和は私たちの心の深みから湧いて来るのです。その源はキリストであり、キリストが平和をお授け下さるのです。

  マリアが主の話に吸い込まれるように聞き入っていたのは、この平和を授けられたからでしょう。そこに人生の新しい一歩、確かな始まりがあると確信したからです。

  現代社会は、平和の人が必要としています。平和の女性や男性であるには勇気と大胆さが必要です。イエスから授かった平和を、全ての人に対し、無条件的に差し出す大胆さです。愛の大胆さ、どんな人とも肩を組む大胆さ。人を区分けし毛嫌いする自分の狭い心と戦う人が、今、地上で求められています。

          (完)

                                    2016年1月3日




                                    板橋大山教会 上垣 勝



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