一年を締めくくる


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                                                 一年を締めくくる (下)
                                                 マタイ5章21-26節



                              (2)
  教会婦人のリーダーがいました。皆の尊敬を集めていました。何故でしょう。その方の所に色々な人が愚痴を言いに行くので、その人はすっかり聞きます。だが聞いた後、「人の悪口など聞きたくない」と叫び出されるのです。そういう愚痴で生きていればあなた自身が人生を失ってしまいますよとたしなめたのです。

  本当にそう思います。「人の悪口など聞きたくない。そういう愚痴で生きていればあなた自身が人生を失ってしまう」と強くたしなめる人であった。だから皆から尊敬を受けたのです。

  こういう在り方が教会共同体を命あるものに形成して行くのです。私たちも、悪口を聞くために生きているのでありません。それはあなたが自分で解決していらっしゃい。それから私の所にいらっしゃいと言わなければならないのです。

  カウンセラーなら聞きますよ。傾聴します。だが教会リーダーとカウンセラーとは違います。しかも本当のカウンセラーは、相談に来る人の問題自体を見抜きながら、傾聴しているのです。傾聴は味方になる事と微妙に違います。

  この教会婦人のリーダーは、他の婦人たちに一人前の信仰者として立って頂きたかったから、そこまで語ったのです。怖い人ですよ。だが優しかった。怒りますよ。だが真実でした。そういう人が教会に必要なのです。この方は、「先ず行って仲直りしなさい」、そういう視点で生きていたのです。

  「先ず行って兄弟と」とイエスは言われました。教会は兄弟姉妹です。肉の血は分けていませんが、キリストの血を分け合った兄弟、姉妹です。ですから、この人は嫌い、あの人は好きだと、感情的な嫌悪感などは越えなければなりません。それがイエスを主と仰ぐ教会共同体です。無論フィーリングが合うとか、波長が合う人はいるでしょう。だが忌み嫌うような態度は誰しも取ってはいけません。皆が自分の兄弟姉妹です。

  しばしば申し上げますが、教会には十字架があります。無論イエスがその上で磔にされ、血を流して殺されたのです。

  十字架は縦と横の棒からなります。これは私たちと神の関係、縦の関係と、教会に集まる人々の横の人間関係を表わしています。大事なのは、横の関係が肥大し過ぎて強くなると、そこに入れない人が出て来ます。つながりが強い者たちが固まることになるのです。その横の関係を、縦の神との関係が糺してくれる。神との関係で横の関係が断ち切られて糺されなければならないのです。神との関係がしっかりしている時に、横の関係が清潔にされるのです。

  先程の教会婦人がしていたのはそのことです。私たちはそれが大事なのであって、横の関係をどんなに強めても、決して十字架が中心の教会にならないのです。

  物騒なことを申しますが、人間が集まってなす事柄はキリストを血祭りにし、人をも血祭りに上げる事があります。それはいつの時代にも、どこでも起こります。

  だからこそ、教会共同体に命を与えるものは何かをイエス様は今日の所で語られたのです。「兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。」それは「人を殺した」のと同様の罪の重さである。だから「まず行って兄弟と仲直り」し、それから神の前での供え物をしなさい、礼拝をしなさいと語られたのです。

  これは一年を締めくくるあり方でもあるでしょう。

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  最後に短歌を2つご紹介します。「うす赤き冬の夕日が壁を這ふ、死刑に耐えて一日(ひとひ)生きたり」。

  死刑囚の歌です。季節はうす赤き夕日が伸びて部屋に入って来る今頃でしょう。その夕日が独房の壁をゆっくり音を立てず這って行くのです。死刑はいつ来るか分かりません。今日かも知れなかったのです。刻々と確実に忍び寄っている筈です。その息詰まるような緊張に耐え、自分の罪を見つめて内観して、今日も一日が終ったのです。緊張感が滲(にじ)み、同時に安堵感が滲み出た歌です。

  「温もりの残れるセーターたたむ夜、ひと日のいのち双掌(もろて)に愛(いと)しむ」。同じ人の歌です。中学時代の恩師の奥さんから頂いたセーターです。就寝の時になり、床に入ろうと独房でセーターを畳んでいると、今日も死刑にならなかった自分の体温がセーターに残っているのです。セーターを持つ両手が、この一日の命の重さを感じるのです。そこに命あることの恵みといとおしみが湧いて来るのです。

  「一年を締めくくる」が今日の題ですが、これらの歌は一日を締めくくる歌です。しかし一年の締めくくりも、神と人からのかたじけないほどの愛と恵みに感謝し、この年に与えられた命と恵みを手に取って味わって締め括りたいと思います。

  素晴らしい歌です。これは何人かの方に妻がお見せしたことがある、死刑囚島秋人の歌です。処刑されましたが、牢の中でキリスト者になった人です。

  彼の歌と彼の生涯を世に紹介したのは福田和子さん。信濃町教会の婦人で妻の親友です。愛の人です。頭だけの人ではない。身銭を切って信仰を生きている方です。福田さんが秋に、大きな集会で講演されたものを頂きました。プリントしましたので欲しい方はお持ち帰りください。前坂和子になっていますが旧姓です。

  福田さんとは長い交わりを得ていますが、表面的でない、落ち着いたこのような兄弟姉妹の交わりが、大山教会の中でも養われるように祈りたいと思います。キリストの体なる教会、教会共同体を作る素晴らしい業に、ここにおられる方、皆が、参与していって頂ければ感謝であります。

     (完)


                                    2015年12月27日



                                    板橋大山教会 上垣 勝



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