童話「ともしび」に教えられました


                  2015年 イヴ・キャンドル・サーヴィス         右端クリックで拡大
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                                                 一年を締めくくる (上)
                                                 マタイ5章21-26節



                              (序)
  皆さんはこの1年をどう締めくくろうとしていらっしゃるでしょか。私自身、感謝を覚えるものもありますが、済まなかった、ご免というものも色々あります。むろん特別締め括る必要がないと感じている方もあると思いますし、イエス様が締めくくって下さるから、私たちは何もする必要はないと考える方もあるでしょう。だが、やはり人間らしくこの一年を、地上の生を締め括るようにできるだけ締め括りたいと思います。信仰は責任逃れとは違うからです。

  と申しますのは、私事ですが、今年心に残った一つのことに、長男の連れ合いのお父さんが3カ月ほど意識が十分戻らず、結局亡くなりましたが、意識を失う数日前に奥さんに、これまで自分がした悪かったことを一つ一つ詫びられたことがあったからです。心のどこかに仕舞い込んでいたしこりを一つ一つ思い出し、詫びられたと聞きました。奥さんが忘れていたこと、知らなかったことも含めて、次々と話して詫びたので、奥さんは言葉を失う程だったそうです。長く高校の教師をし、定年後は郷土史家として貢献し、信望が厚かった方でしたが、そういう方だからこそでしょう、最後まで誠意を持って生きられたのです。

  私はそれを聞いて、人生を締めくくるとはそういう事でないか。それが人生と人に対しての誠実であるということでないかと思いました。それと共に、それでも締めくくれない何かが残るのが人生だと思います。こういう訳で、一年をどう締めくくるかということを考えさせられるのです。

  先週は最近自殺を謀って死ねなかった方のことを、名前はあげず、祈りを持って皆さんにもお話しましたが、その後、別の方が、長年身近で支えて来た方が、朝はお元気であったのに、67才の若さで突然崩れて立てなくなり、数時間もしない内に亡くなられました。その他にも色々な事が毎日のように次々起こり、このクリスマスは大変な時になりました。教会には、皆さんが見えないことが色々起こりますが、その中で、何が主の御心なのか、祈り、考えていかなければなりませんでした。そうしないと、教会はいつの間にか教会でなくなるからです。

  そんな中、先週のクリスマス祝会でAさんが、「ともし火」という童話をお読み下さり、15年程前に私はこの童話のストーリー・テリングをしたことがありますが、その時は考え及ばなかった深いメッセージを、今回与えられたのです。

  おいでにならなかった方のために申しますと、途方もない力持ちで暴れん坊のラニエロという大男が、エルサレムからイタリアのフィレンツェまで、ともし火を消さずに運んだという話しです。彼はそんな事など簡単だと思いましたが、実際に行うとそれは実に大変な事で、ともし火は少し風が吹くだけで消えそうになるからです。やがてともし火を消さないために、反対向きに馬に乗って火を守り、怪力なのに、強盗を殴り倒して追い払うことも出来ず、パッツオ、パッツオ、バカ、間抜けと囃し立てられても我慢しなければならず、一度は暴れまくりもするのですが、火が消えそうになりますから、暴れん坊の大男が実に細心の注意を払ってともし火を守って、やっと何千キロの道をフィレンツェに持ち運んだという話でした。

  彼は、「消えないように、消えないようにと、そればかりを願いながら旅を続けました。こんなか弱いものを必死で守ろうとするなんて、生まれて初めてのこと」だったとありました。こうして、やがて彼は、荒々しい戦(いくさ)を憎み、優しく、なごやかなものを喜ぶ男になったというのです。

  私は聞きながら、これは何年かでなく、何百年、何千年と、終末の日が来るまで教会を保つことを言っているのでないかと思ったのです。終末の日が来るまで、教会は地上からなくなりません。

  教会を保つには、それと同様に、力ずくでなく、細かい心遣いと柔らかい心で、消えないように消えないようにと必死で守ることが必要だという事を思いました。ラニエロはそのことに自分を献げたという事です。

  私たちの信仰は、洗礼を受けた最初は自分のためです。それでいいでしょう。だが、やがて10年、20年して、自分のためのキリストや教会から、キリストのための自分や、教会のための自分にまで進まなければなりません。今朝、9時過ぎにリビングでおりましたら、ガサガサという音が聞こえるのです。何だろうと思いながらいると、中々静まらないので窓に近づいて外を見たら、ある方が外の落ち葉をきれいにお掃除して下っているではありませんか。牧師館の所までして下さり申し訳なかったです。しかしこの方は、今は自分のための信仰から、キリストのため、教会のための信仰へと進んでおられるのです。それがご自分のためにもなっているし、教会も支えているのです。落ち葉に気づいて黙ってしておられる事ゆえに貴いのです。2千年間も信仰の灯が消されなかったのは、そういう細かい心遣いがあったからです。

  そのことを強く教えられる祝会でした。

     (つづく)


                                    2015年12月27日



                                    板橋大山教会 上垣 勝



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