大事なのは信頼を作りだすこと


              クリスマス・イヴのキャンドル・サーヴィスを待つ板橋大山教会
                    24日(木)午後6時30分から7時30分
                          誰でも参加できます
                                               右端クリックで拡大
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                                              牧人らの降誕祭(クリスマス) (下)
                                              ルカ2章8-12節
        

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  ある人が、「救い主が来られたのは、人間がより賢くなるためではない。一層思いやりのある者になるためである」と書いています。そうだと思います。

  神がその独り子をお送り下さったという事は、神が人間をそこまで信頼されたという事です。それは、私たちも信頼し合うようになるためです。今の社会で一番大事なことは、信頼を作り出すことです。不信を作り出す事ではありません。

  聖書で悪魔はディアボロスと言います。悪魔が実際いるかどうか知りませんが、間を裂く者という意味です。そういう意味ではいます。どう間を裂くか。右の人に左の人の悪口を言い、左の人に右の人の悪口を言う。ですからディアボロスというのは、中傷者、そしる者の意味です。悪魔は、神のことも人に悪口出来る非凡な才能を持つのです。神を誹謗する力を持つ。この事はよくよく考えなければなりません。誹謗するのは多くはその人自身に問題があるのです。

  そして私たちがそういう事をしていると、私たち自身が悪魔の代弁者になりかねない事です。いずれにせよ信頼を創り出さず不信を作り出すのです。

  信頼を作り出さず、不信頼を作り出すから戦争の準備をしなければならないのです。戦争の準備をしたい人が不信頼を作り出すのです。そして戦争法案を数の力で通すのです。一番重要な事は、積極的平和主義でなく、積極的に平和を作り出すこと、その為に政治家たちが知恵を絞り合って、国際社会に信頼を創り出すことです。信頼を作り出す人が一番大事な事をしています。

  クリスマスの時期になると、ママ友たちがクリスマス・プレゼントを持ち寄って、はしゃぎながらプレゼント交換をする風景が見られます。勿論それを否定しませんが、聖書が告げるのは、「クリスマスは贈り物が出来る人たちだけの楽しい時ではないという事です。贈り物を持たない人たち、贈り物をする相手がいない、孤独な人たちのクリスマスでもある」ことです。牧人たちは社会の中で孤独でした。楽しい、明るい場所に入れない人への配慮がないクリスマスというのは、実は神の目から見ていびつです。いびつというのはどんな漢字でしょう。いびつとは歪むと書きます。それは神の目から見れば歪んでいるのです。

  最初のクリスマス以来、世界は、「民全体に与えられる大きな喜び」が告げられました。民全体とは例外なく世界の民全体、全ての民です。

  ナチの時代、障害者がガス室に送られました。労働出来ず、生産力がない者は社会のお荷物だ、葬った方が社会のためだ、その人のためにもなると教育されたのです。しかしナチのことは日本で取り上げられても、日本の戦前戦中に障碍者に行なったことや、政府が教会に行ったことは殆ど取り上げられないのは不思議です。しかし、障碍者も全て含んで、「民全体、世界の全ての人々に与えられる大きな喜びが告げられた」のがクリスマスです。

  「あなたがたのために救い主がお生まれになった」、それは大きな喜びの知らせであり、闇に光が照り輝くことでした。飼葉桶のイエス様から、私たちに光が射しています。それは柔和であり、優しさであり、平和であり、希望であり、そして信頼し合う事を示す光です。それが最初に申しましたクリスマスの香りです。

  こんな言葉を読みました。「神は世界の技術援助のために専門家を派遣されませんでした。食糧支援や古着をお送りになりませんでした。」そうではなく、愛を送られた。人々に愛が必要だからです。人として尊ばれ、疑いの目で見られず、誰でも人の尊厳を持っている事に気づかせるために、小さな乳飲み子を徴としてお送りになったのです。

  神はひっそり来られるのです。飼葉桶の乳飲み子を見て、誰が神の御子と思ったでしょう。羊飼いたちはみ告げを聞かなければ、この乳飲み子を目にしても、どこにも神の御子を認めなかったでしょう。神は、乳飲み子の内で隠れておられるのです。これは何と喜ばしいことでしょう。神のなされることの奥深さに心打たれざるを得ません。

  神は静かな夜、弱さの中、全く無防備な中に来られるのです。だから私たちは沈黙し、深く静まり、耳を傾け、祈らなければ、来ておられるかどうかさえ分からず、通り過ぎてしまうでしょう。

  神はPR合戦でかしましく放送したり、見せびらかすことでなく、スヤスヤ眠る乳飲み子の中に来ておられる。このことは、今日私たち一人一人に何を意味しているでしょう。それはこのクリスマスに、皆さんへのプレゼント、人生の宿題にさせて頂きたいと思います。

     (完)

                                             2015年12月20日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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