幸い、母がいなかった


                          セーヌ川のクルーズから        (右端クリックで拡大)
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                                                 かたじけなさに涙こぼるる (中)
                                                 マタイ18章1-9節


                              (2)
  イエスは、「一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に」、彼らの真ん中に立たせ、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」とおっしゃったのです。「心を入れ替えて」とは、180度、生き方の方向転換です。誰が一番かという競争的な考え、自分こそ上だと争う考えを改めることです。

  そして「子供のようになる」ように戒められました。自分は何者ぞという、己を高くする傲慢な態度に対し、子供のように自分を低くし、自分の背丈で、背伸びせず生きることです。たとえキリストに選ばれた弟子であっても、見栄を張るべきことではありません。気取る必要はない。罪赦され、イエスに愛されている者として子供のような喜びを持って自然のまま生きる事です。

  ラテン・アメリカで一番人気があると言われるイザベル・アジェンデという、私と同年輩の女流作家がいます。身内にチリの革新的な元大統領や外交官がいて、自身も国連で働いたり華々しい活動をしましたが、軍事クーデターがあって国外に亡命した人で今は米国在住です。後に一族をモチーフに小説を書いて有名になりました。私生活では両親の離婚、自分の離婚と再婚、亡命生活、28才の娘の突然の死など次々不幸を経験した人です。家柄のいい女性ですが、変わった人で、ゴミ捨て場に捨てられていた目の不自由な犬を拾って来て、その目を手術で治してあげて、一緒に住んでいるそうです。

  意志の強い、自分で道を切り拓いて来た女傑だと思います。しかし娘の死後、長くペンを取れず、再び書き始めた今人生を振り返って、「私の人生の方向を変えた様々な事は、全く自分の手に余ることでした。私の父は私を捨て、母は外交官と結婚し、軍事クーデターが起こり、娘の死が突然に起こり」などと、人生は決して計画通り行かないことを謙遜に語っていました。強い意志の人ですが、長く人生を旅する内に、人生はままならぬことを素直に認め、謙遜にされ、神の前に子供のようになって行かれたのだろうと想像しました。

  死ぬためには、財産も技術も名誉も不要です。金持ちの日本人も東南アジアの貧しい人も皆、死において平等です。人生は、出世や何者かになるための道でしょうか。むしろ天国に入れて頂く歩みかも知れません。誰が偉いか、どう抜きん出るか、競争に勝てるかでなく、単純に人生を考える必要があるでしょう。小さい子供は自分は偉いと考えません。大人びた子どももいますが、子供の心は至って純心、単純で素朴、純情です。

  イエスは今日の個所で、1人の子供を弟子たちの前に立たせて語られました。どうして子供でしょう。少し前の14章には、イエスは5つのパンと2匹の魚で男だけで5千人の群衆を養われたことが書かれています。同じ話しはヨハネ福音書6章では、アンデレが、「ここに大麦のパン5つと魚2匹を持っている少年がいますが、こんなに大勢の人では、何の役にも立ちません」と言ったのですが、イエスは人々を草の上に座らせ、少年が差しだしたパンと魚を祝福して配り、5千人を養ったとあります。

  パンと魚は少年が家から持って来たお弁当でしょう。しかしイエス様が大変困っておられるのを察して、「イエス様、これを上げる」と咄嗟に差し出したのです。子供というのは人一倍お腹を空かします。育ち盛りの男の子は底なしのように食べます。だが、この子供が自分の空腹のことを考えず、「イエス様、これを使って下さい」と全部差し出したのです。そばに母親がいなかったのです。いたら、母は慌てて、「チョッと。アンタ、何すんの。アンタの分がなくなるでしょ、半分だけあげなさい」と小声で注意したでしょう。笑ってらっしゃる皆さんはそう思いでしょ。だが幸い、いなかった。

  子供というのは、誰かが困っていれば純粋に同情します。後先を考えず、称賛を得ようなどと思わず、咄嗟に思ったことをします。少年は自分のものを与えた時、一番の幸福を感じたでしょう。

  イエスはそういう子供の姿を知っておられたので、一人の子どもを彼らの真ん中に立たせて、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と語られたのです。

  「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」この「決して」という言葉は塩味が効いています。決して「入ることは出来ない。」出来ないと分かったら神の前に謙らなければなりません。キリストの導き、憐れみ、罪の赦しを真剣に乞わなければならない。そのようにして純心になり、素朴になり、低くなってこそ、天国に入れられるのです。

    (つづく)

                                             2015年11月22日




                                             板橋大山教会 上垣 勝



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