自腹を切った主人


                 ミステリーフラワー。一年生共同作品、第1小学校作品展から。
「真っ暗な部屋の中、光り輝く花たち。…一年生が紙皿に蛍光塗料で描き、花びらを画用紙で付けた花々が色鮮やかに光ります。不思議な世界をお楽しみください」とありました。                   右端クリックで拡大
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                                               ぶどう園の労働者の譬え (中)
                                               マタイ20章1-16節
                                                於 王子教会


                              (2)
  冒頭に、「天の国は次のように譬えられる」とあるようにこれは天国の譬えです。じゃあ、天国はとんでもない不公平な所でしょうか。ただここの意味は、天国即ち神は私たち一人ひとりとこのように接しられるということです。神の扱いは、人間の理性やそろばん勘定、人間の基準を超えているということです。

  主人は約束通り支払ったのです。契約を破っていません。朝一番から働いた者たちは自分の支払いを貰えばいいだけで、不正はありません。

  そうは言うものの一体、何を言いたいのでしょう。結論から言えば、夕方5時に来た者にも同じように支払ったということは、労働時間で考えれば彼らに12分の1デナリ払えばいい訳ですから、12分の11デナリは主人の持ち出しです。1デナリオンが1万2千円なら、1千円払えばいいのに主人は自腹を切って1万1千円を上乗せし、この最後の者にも1万2千円を払ったのです。何たる出血サービス! 先程の讃美歌487番に、「弟子たちの足を洗い、人に仕える主よ」とありましたが、この主人は仕える人です。

  彼らに1万2千円を支払ったということは、9時の者にも、12時、3時の者にも、自腹を切って同額を払った筈で、ピン撥ねするどころか、主人は極めて気前良く莫大な出血サービスで彼らに仕えたのです。彼はこすい男でなくこれ程気前いい男はいないでしょう。私たちはこれ程気前良くできるでしょうか。

  それにしても、朝6時から、「まる1日、暑い中を辛抱して働いた私たちと、この連中とを同じ扱いにするとは」という主張にも一理はあるわけで、これでは腹の虫が治まらないかも知れません。これが実社会なら、エコ贔屓はよしてくれ、自分たちが舐めた厳しい労苦はどうしてくれるのだと言いたいでしょう。労働時間を比較すれば苦情を言いたくなります。

                              (3)
  もう一度申しますが、これは「天国の譬え」です。天国とあるのは、神のご支配、神の王的な愛のご支配の在り方のことです。神は私たちをどう治められるのかという話です。じゃあ、神のご支配は勝手な支配なのか。神はしたい放題に支配するのか。

  そうじゃあないのです。この1デナリオンとは、イエスの招きに応じる者すべてに与えられる神の義です。イエスは私たちを相対評価でなく信仰による義という絶対評価で救い、どの人にも1デナリオン、同じ神の義を授けて下さる。エコ贔屓されないのです。

  クリスチャン・ホームで生まれた方でも、生後すぐから神のために自覚的に誠心誠意働いて来た人はいないでしょう。私たちは、人生の明け方10代になってとか、20代のまだ若い時期、また30代や40代、50代の人生の中盤になって、あるいは人生の夕暮れになって神に導かれ、イエスを信じて神に仕えるようになった筈です。だが、何才で洗礼を受けても同じ恵みです。キリスト教主義学校を出た人も、普通の公立学校また仏教系の学校を卒業した人も、皆、1デナリ、全く同じです。牧師とか信徒とかで差別はない。有名な何々教会に属しているということでも、いささかも違わない。

  いつか、教会前の道を数人の婦人が歩いていて、教会の看板を見て、「教会に行くなら矢張り大教会がいいのよ」と言っていたと言うのです。家内は耳をそばだてたそうです。すると、「大きい教会は素晴らしい人が沢山いてお友達になれるから、得よ。あまり献金献金と言わないし…」と言っていたので、追いかけて行って一こと言おうとしたが思いとどまったようです。大教会の方(ほう)が一段素晴らしい恵みに与れるのでしょうか。そんな誤解をしている方(かた)もおられますが…。

  私たちの教会で薬物中毒から抜け出そうとしている人たちの会(NA=Narcotics Anonymous)があります。細身ですが刑務所に合計20年ほど入った東北出身の人や関西のA大の学生時代から万引きを数10回繰り返して来た人。薬中の医療従事者の男性もいます。聞くと、色々な事でこうなったのですが、今やっと薬物なしのクリーンの価値に気づいたのです。家族や自分を傷つけ自殺行為をして来たと自分を責める彼らの苦悩は、言語に尽くせません。

  彼らはまだイエスに出会っていないので、言わばまだ雇われていない人ややがて主人に雇われ、この最後の者になる人かも知れません。いずれにせよ、いつかキリストの救いに与ってもらいたいと、毎週彼らの話しに1時間半ほど付き合っています。大教会なら、牧師はこんなことをしません。場所を貸すのが精一杯でしょう。「この最後の者にも支払ってやりたいのだ。」私は、彼らにもそう言っておられるイエスの声に気づいてくれる時期を静かに待っています。彼らも救いに与り、あなたは十分重荷を負い苦労して生きた、もうそれでいいんだと1デナリオンを与えられて、これでよかったのだと思う人生を過ごして貰いたいのです。1デナリオン。それは神の前での1人の人生の重さ、命の絶対的な価値です。神の前に来る者は、どんな過去を持ち、どんな重荷や罪を抱えていても、皆、神に義とされ安らうことができるのです。

  第1節が重要です。「天の国は次のように譬えられる。ある家の主人がぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った」とありました。一切は、主人が出かけるところから始まります。人生は自分の責任ですが、でも私たちが始めるのでなく、神が私たちに向かって来て神のぶどう園という人生の仕事場に招かれるのです。人生の早朝から神の畑で働く人もあり、最後になって神の所に来る人もある。肝心なのは神が先手をもって私たちを神の働きに与らせようとされている事です。早い、遅いは関係ない。今日の最後でイエスは、「後にいる者が先になり、先にいる者があとになる」と言っておられます。

    (つづく)

                                             15年11月15日

 
                                             板橋大山教会 上垣 勝



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