真理よりも財産を守る
オペラ・バスティーユではセビリアの理髪師を楽しみました 右端クリックで拡大
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SEKAI NO OWARI(下)
ルカ21章7-24節
(3)
更にイエスは、「これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである」と言われました。
迫害と証しです。世の終わりに、たとえ天変地異や破局的なことが起こるにしても、そのもっと前に、弟子たちへの迫害、投獄、王や総督の前での裁き、そしてキリストの名のために信仰の証をする機会が先ず訪れる。
その時に恐れるな、怯えるな。それはあなたの失敗でも、不運でも、禍でもない。自分を責める時ではない。キリストが共におられて語るべきことを教え、反論出来ない言葉と知恵を授けると語られたのです。
世の終わりの前に弟子たちの証の時が待っているのです。公然と証が出来、福音が世に知られ、世界の人にキリストの福音の素晴らしさが知られて行くまたとない好機、絶好のチャンスになるということです。実際、使徒言行録ではペトロやパウロなど弟子たちは王や総督の前で証をしています。
私たちは批判されたり誤解されたりすると、次の時はどう言おうか、こう言おうか、ああ言おうかと考えて眠れないものです。一晩中、言葉を考えて眠れないというのが凡人の私たちです。
しかし、どう言えばいいかと弁明の準備をするまいと固く心に決めなさい。くよくよ考えると、一層緊張して何も言えない。もっと自由でいい。その時、その時に最善の言葉を授けるから、一切をイエス様に委ねて思い切って大胆に主を証しするつもりで話せばいいのです。あなた方が語るのでなく、私、イエスがあなた方の中にあって語るから案ずるなと言われるのです。
この約束は私たち小さい者にも勇気を授けます。イエスを堅く信じて行くなら必要な時に私たちの中にあって語って下さる。何と慰め多い約束でしょう。
また、あなたがたの中には、親、兄弟、親族、友人にまで裏切られ、中には殺される者もいる。ステパノは最初の殉教者になりました。また、わたしの名のために、すべての人に憎まれる者もある。だが、「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
親兄弟、親族、友人は、真理にまたイエス様に耳傾けるかどうかは分かりません。真理よりも家系や家柄や財産を守ろうとして、イエスを信じる人間だという理由だけで憎悪し、否定し、地縁、血縁、財産を越える方を知ろうとしないために、社会では自己保身的に私たちを切り捨てていくことさえ起こるだろう。愚かにも、悲しいことに。
だがその時も恐れるな。「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。」一本の髪の毛。それ程軽いものや価値のないものであっても、決して失われない。ましてやあなた方の本質的なものは断固として神によって守られる。だから、たとえ体を殺しても、魂を殺すことの出来ぬ者どもを恐れるな。体も魂も、地獄で滅ぼすことの出来る方を恐れよ。だから、堅く立って動かされるなと言われるのです。
そこまで堅く立って、最後まで耐え忍ぶことが出来るのは、キリストに希望があるからです。
まとめましょう。
①「世界の終わり」、その前兆のような不安を感じても「惑わされてはならない。」騙(だま)されてはならない。
②親しい人に誘われ、また義理があっても、拒否すべきものははっきりと拒否する主体性を持ちなさいということ。単にお人好しのキリスト者であってはならないということ。
③「世の終わり」はすぐには来ない。落ち着いて冷静に日々を生きるべきこと。明日、世の終わりが来るにしても、今日、リンゴの木を植えるように落ち着き。穏やかさ、神への信頼をもって愛と慈しみに生きればいいこと。
④人々の前で証しする機会を与えられるなら幸いである。自分の中でイエスが語って下さることを確信して生きるべきこと。
⑤たとえ迫害があっても、髪の毛一本さえ失われぬ程に守られており、私たちの本質的なものは決して失われないのだ。
だから、私たちはキリストに希望を抱いて歩むのです。
(完)
2015年10月25日
板橋大山教会 上垣 勝
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