SEKAI NO OWARIの留意点


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                                              SEKAI NO OWARI (中)
                                              ルカ21章7-24節
        

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  今日の個所は、イエス様がエルサレム神殿の崩壊を予告されたのを受け、弟子たちが、それはいつ起こり、どんな前兆があるのですかと尋ねたのです。それがきっかけで終末預言、「SEKAI NO OWARI」の預言と言い換えてもいいでしょう、それが語られることになります。

  イエスはここで、終末そのものよりも終末について幾つか留意点を話されています。第一は、「惑わされないように気をつけなさい」という事です。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない」とあります。

  「世界の終わり」が来ると言われると、多くの人がパニックに陥り惑わされるからです。振り込め詐欺に引っ掛かる人は、息子が自動車事故を起こしたとか言われてパニックになったからでしょう。イエス様は先ず、「惑わされるな」と語られたのです。英語聖書では、騙されるな、バカにされるな、間違った方向に導かれるななどと訳しています。

  次に、「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない」と言われます。

  今から2、30年前、ノストラダムスの大予言が言われてあちこちで取り上げられたり、エホバの証人ものみの塔)が世界の終わりを説いて盛んに勧誘しました。共産圏の崩壊、バブルの崩壊、20世紀の世紀末も近づいた頃で、惑わされた人も多かったのです。

  「私がそれだ」は、統一原理の文鮮明が、そう信者を洗脳して伝道したのを思い出させます。「時が近づいた」、文鮮明は救済のメシア・キリストである。今や、間もなくそれが明らかになると語りました。

  だが実際には、彼は3年前に死にましたが世界に何事も起こらないばかりか、起こったのは、彼の後継者問題と遺産相続問題、統一教会の内部分裂だけでした。

  ついて行った人たちは騙され、間違った方向に導かれて、青春も人生も取り返すことも出来ずどうすることも出来ないので、仕方なしに今もしがみついている人もあり、実に気の毒な状態になっています。

  イエスが、「惑わされるな」「ついて行ってはならない」と言われた意味が、このことだけを取ってもよく分かります。

  もう少し申しますと、「ついて行ってはならない」とは、その人に加わることを拒みなさいという意味です。たとえ親しい者の誘いでも、義理を欠いても拒否する。キリストの弟子は、お人好しであってはならない。親しい人であっても、拒否すべきものははっきり拒否する主体性を持つ人であれという事です。

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  次に、「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ない。民は民に、国は国に敵対し…、大地震…、方々に飢饉や疫病…、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」とあります。これと似たことは、20節以下で、「エルサレムの滅亡予告」とあって、実際に西暦70年に起こったユダヤ戦争で、壊滅的に滅ぼされたエルサレムの状況が描写されています。徹底抗戦の末110万人が戦死。マサダの要塞に立てこもって更に抗戦しますが、玉砕でした。

  だが、そういう戦乱があるにしてもと、12節以下でイエスは言われるのです。「これら…がすべて起こる前に、人々はあなたがたを迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引き出され、あなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、決心しなさい。 どんな反対者も、対抗も反論もできない言葉と知恵を授ける。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られ、中には殺される者もいる。また、わたしの名のため、すべての人に憎まれる者もある。」

  だが、「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

  戦争や暴動、民族間、国家間の対立、また地震、飢饉、疫病、異様な天体現象、ここには津波や洪水や竜巻や異常気象も含むでしょうが、たとえ破局的に見える現象が起こっても、「世の終わりはすぐには来ない」と言われるのです。これが第3の留意点です。

  今日は「SEKAI NO OWARI」と横文字の題ですが、これは去年の紅白歌合戦に初登場したロックバンドの名前です。暫らく前まで全く知らなかったので、「SEKAI NO OWARI」というキリスト教の専売特許を取ったようなロックバンド、じゃあ凄い歌詞で歌っているに違いないと思って今日の題にしました。しかし申し訳ありませんが、私の率直な印象は彼らの何曲かを聞いてそれ程凄くない。どこかの道徳家のオヤジさんが書いたようなものとか、気取って、キザな表現をしていますが、オヤジさんが正論を吐いて、何かをぶっているというような歌でした。すみません。しかし、こんな歌がはやるというのは今の風潮を映しているわけで、うまく時代の波に乗っているという意味では凄いです。

  聖書に戻りますが、戦乱や色々な異変。だが、それが世の終わりそのものではないし、これらの現象が、「世の終わりがすぐ来る」ことを示すものではない。怯(おび)えてはならないのです。怯えるから、詐欺に引っ掛かり、詐欺的宗教の思う壺なのです。落ち着け、慌てるな、冷静になって生きよということです。これらの現象を世の終わりと結び付ける者こそ、たとえキリストの名を名乗ってもメシアでないという事です。

  詐欺的宗教というのは、脅すところがあります。脅迫的に入会を勧めたりします。そして一度入れば、脱会すれば不幸が来るとか言って、脱会できないように追い打ちをかけて来ます。

  しかしイエスは、恐れるな、終わりはすぐには来ない。慌てるな。イエスという方は、実に冷静な方です。信仰は冷静です。ファナティックな扇動的、扇情的なものではありません。たとえ世の終わりが来そうな時にも、慌てず、隣人を愛し、今日を落ち着いてしっかり生きる。それがキリスト教です。プロテスタントカトリックもそうです。

  東日本大震災から4年半が過ぎました。あの時の被災者に、気仙沼の水産加場で働く張迪さんという25才の中国人研修生がいました。津波警報が鳴り響く中、魚市場の屋上に避難して震えていると、高さ5~6mの津波が次々舟や家を飲み込み、夜には火が付いた無数の材木が漂い、地獄さながらの光景だった訳です。彼らは「世の終わり」かと思うような経験をしたと思います。

  翌日、市民会館に移ると避難者がひしめき食料はほとんどない。そんな中、以前同じ職場で働いていた40代の地元の男性が、あめ玉2個とビスケット2枚を出して、「これしかないけど」と言ってくれた。持っていたものを全部くれるなんて、感動して泣けて仕方なかったというのです。皆が必死で顔が引きつっているのに、その中で「これしかないけど」と言って全部くれた。心細い日本で、思い出せば涙が出る、一生残る大切な経験をなさった。

  「たとえ明日、世界の終わりが来ようと、今日、リンゴの苗木を植える。」今週末の10月31日は宗教改革記念日ですが、これはルタ―の言葉です。明日、世界の終末が来るにしても、今日も神への信頼を持って、隣人を愛し、世界万物への愛と慈しみを持って生きるというのです。

  イエスは、怯えるな、終わりはすぐには来ない。慌てるなと言われるのです。それは、たとえ明日、終わりが来ようとも、落ち着いて今日の一日を愛と慈しみを持って生きるようにと言われていることです。

  私たち個々人にとっての世界の終わりは人生の終わり、死を迎える時でしょう。その時も、余裕があるなら、人々への感謝と好意と慈しみを持ち、明日への主にある希望を持って息を引き取りたいと思います。

         (つづく)

                                             2015年10月25日



 
                                             板橋大山教会 上垣 勝



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