エロス
野党議員が群がっていると誤解しますが、与党議員が議長を守って強行採決しようとしたので野党が詰め寄ったのです。中央で鴻池委員長を守っているのが与党議員です。
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何に望みを置いていますか (下)
1ペトロ6章17-21節
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最後に、「テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように」とありました。
パウロは富だけを問題にしません。知識の問題性も取り上げます。人々に役立つ知識や役立てる知識でなく、「不当にも知識と呼ばれ…、知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外して」しまうことになる知識です。
「不当にも知識と呼ばれている」とは、真の知識だと間違って呼ばれ、偽って呼ばれているという意味です。お金だけでなく、知識も能力も技術も、人は色々鼻に掛けますが、そんなことをしていると信仰の道から外れてしまうでしょう。
エロスは性や愛欲だけではありません。日本では狭く捉えられし過ぎで、知識も地位も能力も技術も、思想も金の欲も権力欲も、それはエロス、愛欲なのです。所有欲です。ギリシャの人たちは知識や思想も、また芸術もエロスの働きと見ました。図星です。それはアガペー、神の愛、本当の愛でなく、所有欲の愛、自分がトップの座を占め、最新の知才を所有しようとする欲だと。
繰り返すと、エロスは愛欲、肉欲から始まり、知的な最高のものまでを我がものにし、所有しようとする愛欲なのです。それは競争する愛であり、対立する愛であり、妬む愛であり、愛が突然、激怒に変身する愛です。
だからテモテに、「あなたに委ねられているものを守り」なさいと諭すのです。そこに踏みとどまらなければ、たとえテモテと言えども信仰の道を踏み外しかねないのが、世の誘惑の力だからです。それは、彼がかつて頭に手を置いて按手を受け、伝道者として委ねられたことを堅く守ることです。
私たちに惹きつけて考えるなら、ローマ書6章で言われているように、洗礼を与えられたことです。
彼はそこで、私たちは「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた」と語っています。私たちがいかにみすぼらしく、罪に流れやすい者であっても、キリスト・イエスに結ばれた者です。私でなく、キリストが私と結び付いて決して離れず愛して下さっている。
そして、「洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなった」とありますが、私たちはキリストの死に与っている。永遠にその恵みに与る者になったのです。更に、「キリストが…死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるため」です。即ち、「罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないため」ですと書いています。
ルターでさえ宗教改革の戦いの中で、潰(つぶ)されそうになりました。信仰が消えそうになったのです。その時、彼を救ったのは、「私はキリストの洗礼を受けている」というただ一つのことでした。洗礼に励まされ、奮起して、彼はウォルムスの国会に呼び出されても大胆に証言し、再び宗教改革を進めていくのです。
洗礼。それは私たちを悪魔的なものから守り抜く最後的な砦と言ってもいいかも知れません。
(完)
2015年9月13日
板橋大山教会 上垣 勝
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