侵略の歴史に宝がザクザクある


                          モンマルトルの路地で
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                                                     勇気を与えた喜び (中)
                                                     マタイ13章44-46節
         


                              (2)
  さて、先ずこの譬えから身近なことを考えさせられます。畑とありましたが、私たちの生活という畑にも、宝が隠されているでしょう。足元に、思い掛けない素晴らしい宝が隠れていることが示唆されています。目利きなら、とんでもない場所で高価な真珠を発見するかも知れないということです。

  例えば会社などが、従業員から色々な改善や工夫、アイディアや提案を募るのはこのことです。ネジ一本、添加物一つ、また縦のものを横に改善するという思い掛けない発想が、画期的な生産ラインを作り、利益を生むことがあります。

  重工業から食品、サービス業に至るあらゆる分野で言えます。身近な生活改善の類いもこれに属します。

  いずれにせよ、日常生活という畑に、ぼんやりしていれば見過ごしてしまう貴重な宝が隠れています。先週は巨峰を味わいました。教会の狭い庭に宝が隠れていたのではないでしょうか。宝を見つけるには、畑を愛さなければなりません。宝は畑に在ったのです。畑と離れた所に宝があるのではない。また、畑を耕せば泥だらけになり、夏なら玉の汗が流れますが、宝は大抵、苦労の伴う畑で見つけられるのです。ですから旧約の箴言は、「牛がいなければ飼葉桶は清潔だが、豊作をもたらすのは牛の力」と書いています。

  エジプトからシナイに逃亡生活中のモーセは、荒れ野の奥に入り、ホレブにおいて、主なる神ヤーウェと出会いました。彼はそこで、燃えているのに燃え尽きない柴という不思議な現象に接します。その時彼は、「足から靴を脱ぎなさい。あなたが立っている地は、聖なる地である」という声を聞きます。

  私たちが暮らす日常生活。ある人にとっては、そこは荒れ野や砂漠のような困難な場所であったりするかも知れません。だが生き物も住めない乾いた砂漠、荒れた野、荒れ地。そこが、靴を脱ぎなさい、この荒れた場所こそあなたが神を礼拝し神と出会う「聖なる地である」と言われているかも知れません。

  そこが、神があなたと共におられる神聖な地である。少なくともモーセにとり、そこもまた宝が隠されている場所であり、そこもまた神がおられる地であったということです。

  この夏は異常な夏でしたが、異常さは安保法案、戦争法案の殆ど真面目に答えられていない異常な論戦となり、戦後70年の首相談話なども出される夏でした。

  この夏、私たちはドイツの特に学校教育の在り方をもっと学ぶべきだと思いました。例えば、ドイツの高校生は自分たちの祖父たちの罪の遺産である強制収容所を見学します。真冬にアウシュビッツに行った時、すぐ前にカトリックの研修施設があって、毎年夏には多くの学生が強制収容所を学びに来ると言っていました。

  強制収容所への輸送記録を実際に手にして、大量虐殺されたユダヤ人犠牲者たちはどこから、どのように輸送されて来、どう虐殺されたか。また大量に虐殺した加害者の生育、地位に始まり、強制収容所で彼らがしたことなどを包み隠さず学び、考えるのです。

  ヒロシマのように、原爆を落とされた被害を学んでくれというのと違って加害を学ぶのです。

  彼ら高校生は、ナチスの隊員だったかも知れない自分の祖父や曾祖父がした事と正面から向き合い、過去を記憶し、忘れぬために学ぶのです。この学びは、ドイツの高校生の義務です。凄い、積極的な平和教育です。積極的な平和作りはそういうことをします。

  これは、「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける運命を背負わせてはなりません」という考えと正反対です。甘さがあります。次の世代への思いやりに見せかけて、日本の侵略の過去を忘れさせ、過去を修正しようとするズルイ考えがチラついています。

  戦前、戦中、戦後。現実の歴史を修正するのでなくそのまま学べば、そこに尽きない宝が埋蔵されているのです。日本人もまた無駄に失敗をしていません。だが、そこから学ぼうとしないなら、それはまさしく無駄な失敗になるでしょう。

  ドイツで行われているような、自覚的に平和を作る教育によってしか、世界に平和を作って行くことはできないでしょう。

  いずれにせよ、ナチスの歴史を学ぶ中にも宝が隠されており、私たちが行なった侵略の罪の歴史にもありのまま学べばザクザク宝が隠されているのです。目利きなら、そこから貴重な宝を掘り出すでしょう。


         (つづく)

                                             2015年9月6日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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