真珠の目利き
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勇気を与えた喜び (上)
マタイ13章44-46節
(序)
外国には時々マルガレーテさんという名の人がいます。英語名になるとマーガレットさんです。この名前は、いずれも元はギリシャ語のマルガリテース、真珠という愛くるしい言葉から来ています。美しい真珠のような人という意味でしょう。
日本だと珠代さんとか珠子さんです。お玉となれば猫の名です。
(1)
今日のイエスの話しは、天の国あるいは神の国が、真珠と畑の宝に譬えられていました。
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
宝が畑に隠されていたが、見つけたのは地主でなく畑を借りていた小作人でしょう。「喜びながら帰り」とあるのは、飛び上がる程の喜びをもって帰ったということです。前の口語訳は「喜びの余り、行って持ち物を売り払い…」と、突き上げて来る喜びと、喜びの余り畑を買う農夫に焦点を合わせています。
2千年前のパレスチナでは、財産は壺に入れて地中に隠すのが安全だと思われていました。今の日本では、何億と持っている人たちは、100gの金、ゴールドの板にして何枚も金庫に保管するそうで、一番相続税がいらないそうです。この国はますます金持ちが得をする国になっています。
それはさて置き、宝のことも場所のことも誰にも知らせず突然死んだり戦死すると、何10年、何100年たって偶然発見されるまで静かに埋もれたままになります。しばしば実際にあった事実に立ってイエスは譬えを話されたのです。
農夫が、いつものように畑を耕していたのでしょう。すると鍬の先に何かが当たったのです。大きな岩でも切り株でもありません。不思議に思い、鍬を置き近寄って見て驚いたのです。見たこともない高価な宝物がザクザク出て来たからです。計算できない程、値打ちがある宝が、畑に眠っていたのです。
2番目の話しは幸運な商人です。彼は良い真珠を見つけて商う仕事です。仲買商人でしょう。この「良い」という言葉は、先週の「立派」という言葉と同じギリシャ語です。彼はあちこち漁村や田舎を訪れては、採れたばかりのアコヤガイの真珠を調べたり、田舎の鑑識眼のない人の所に眠る真珠を見せてもらったりして、高貴さが漂う、立派な真珠を、美しい気品ある真珠を探して、貴族や貴婦人に売っていたのでしょう。
彼は真珠について特別いい目を持つ、真珠の目利きでしょう。彼はある日、先の農夫のように口では言い表すことができない喜びを経験したのです。見付けたいと願っていた代物より、何倍も、何十倍も気品の溢れる真珠を見つけたからです。それは驚くほど高貴な真珠で、これを手にすれば、人生がすっかり変わるような代物だったのです。
農夫も商人も、彼らの心臓は早鐘をつくようにドッキンドッキン鼓動しました。今後の人生は前途洋々、幸福の女神に抱きしめられたように感じて嬉しくてならなかったでしょう。だが彼らは冷静で、農夫は誰にも悟られぬようにもう一度宝を埋め戻しました。そして彼らは持ち物をすっかり売り払って、一人は直ちに地主から畑を買い、もう一人は真珠を持ち主から買い取ったのです。
もう一度申しますが、農夫は畑に宝を見つけた時、我が目を疑ったでしょう。商人も、プロの目にしか絶対分からぬ、気品溢れる真珠を辺鄙な漁村かどこかで見つけて驚いたのです。
そこで二人共、喜びの余り持ち物をすっかり売り払った。すっかり売り払ってもいささかも損と思わず、不安もなかったのです。そしてすぐに畑や真珠を買い取った。これは自発的な喜びから出た行為です。恋は盲目と言います。これは恋ではありませんが、大胆に冒険を冒したのです。
(つづく)
2015年9月6日
板橋大山教会 上垣 勝
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