あなたは永遠の伴走者


      時間があったのでクリニャンクールからぶどう畑のある裏道を上りモンマルトルに向かいました
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                                                ピラトの前で証しした方 (下)
                                                Ⅰテモテ6章11-16節


                              (4)
  最後に、「神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン」と語っています。神への賛美であり、頌栄(しょうえい)です。これは当時の礼拝で祈られた祈祷文かも知れません。

  神は万物を祝福する、祝福に満ちたお方です。ただお一人、世界万物を治める方。王たちの中で真に王たる方。主を名乗る者たちの中で真に主なるお方。ただお一人、不死のお方。近寄ることのできない輝きと高貴さの中にお住みになるお方。誰も見たことがなく、誰も見ることができない、誰も経験したことがない万物を越えたお方。

  このお方に誉れ、栄誉、栄光、永遠のご支配がありますように。アーメン。本当です。真実です。確かにそう思います。そういう言葉で終わっています。

  礼拝の目標はこのお方への賛美、感謝です。このお方を証しすることです。このお方に生かされている人は誰もが真にしたいことです。幼子も、若者も、老いた者も、このただ一つのことはできます。信仰は極めて単純、シンプルです。このお方との関係で生きることに他なりません。

  私たちは、神の永遠なる恵みの内に大きく取り囲まれています。現代人は、人工物に囲まれて、神の恵みの内に、永遠に取り囲まれていることを分からないでいるかも知れません。

  カール・バルトという人はこう語っています。「木が川の岸辺に生えていて、いつも川の隣にありつつ、しかし一緒に流れてしまう事がないように、北極星が天球の頂点にありつつ、しかし天球と一緒に動くことがないように、海が陸地を全ての側面から取り巻きつつ、しかしそれ自身は陸ではないように。」素晴らしい比喩です。そのように永遠なる神の恵みは、時間の中にいる私たちを取り巻き、過ぎ去ることなく永遠に私たちと共にある。神の恵みが永遠に私たちに伴走しているのです。幼児時代から90才、100才、それ以上に至るまで一緒に走ってくれている。(ああ、同じ屋根の下で生活を一緒にしていても伴走してくれているとは限らないのに?です。)

  私たちは神の無限に広がる永遠の恵みの大空によって取り巻かれています。東からも西からも、北からも南からも、そして頭上からも足元からも、内側からも、神の恵みが永遠に私たちを取り囲んでいます。

  私たちは主の主である方、唯一の不死の方、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方を、イエス・キリストにおいて礼拝しているのです。

  主なる神を称えましょう。恐れることなく、ほめ歌いましょう。このお方が私たちの主であられるとは、何と幸いなことでしょう。


      (完)

                                             2015年8月30日


                                             板橋大山教会 上垣 勝



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