現世利益を越える喜び


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                                                現世利益を越える喜び (3)
                                                Ⅰテモテ6章2-11節


                              (2)
  それは現世利益(りやく)の道です。何とか自分の利益になることをしたい。自己中心、その思いが強いです。

  次に6節以下は、5節を混ぜっ返すようなことを言って、「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです」と語ります。

  現世利益(りやく)の道があり、現世利益でなく、それを越える喜びの道がある。それは、満ち足りること、「足ることを知る」道であると語るのです。これはフィリピ書4章で、「私はどんな境遇にあっても、足ることを学んだ」と語られる在り方です。

  ここのとは後に触れますが、今日の個所に、「わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができない」という、ヨブの有名な言葉が引用されています。確かに「世を去る時は何も持たずに行く」という言葉に、アーメン、本当にそうですと言わざるを得ません。これは非常に感慨深い言葉です。永遠に真理です。どんなに沢山蓄えても、誰も、何も死の向こうまで持って行けません。

  昔、あるご家庭で宿泊させて頂きましたら、「何とか大学・名誉学部長・○○先生」とその国の最高学府の大学名とその方の名前が達筆で銀の板に刻まれ、名誉な大きな銘盤がリビングに飾られていました。今は亡き知人はこれを死の向こうまで持って行こうとするような方ではありませんでしたが、むろん自宅において逝かれました。

  それは残念なことでなく、そこに万民の平等性という神の恵みが溢れているのです。足ることを知る。そこに平和があり喜びがあります。持ち過ぎる必要はなく、あり余るほど持って何になるのか。人の一番シンプルな基本の事実はここにあります。

  9節、10節はこう述べます。「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます」と語ります。

  「なろう」という言葉で、金銭への激しい欲求を指しています。身を焦がす程の欲求の意味です。だがそれが有害な欲望の罠に引っかかり、身を滅ぼしてしまう引き金になると言うのです。

  真善美という言葉があります。しかし、ある宗教団体は真善利を説いて来たと言っていいでしょう。利益、この世的ご利益(ごりやく)です。その宗教が高度成長の波に乗ってやがて政治の世界に登場し、それに属する人たちは、得をすること、自分を利すること、自分の利益を求める国の利己的生き方を下支えして来たと思います。今の与党のやり取りを見てその感を深くします。他者(国民)のためでなく自己(党利党略)のために生きる。即ち現世利益(りやく)の生き方が日本の一端を確実に占めている。そこにこの国の精神性の低さの現われがあります。

  しかし現世利益(げんせい・りやく)でなく、現世利益を越えた喜びに貴い価値があり人生の美しさが存在することに気づかなければなりません。この意味での美は単なる情緒でなく価値ある文化を創造する力です。キリスト教文化はそのような喜びの上に、キリストの犠牲の上に開花して来たのです。

          (つづく)

                                             2015年8月23日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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