破れた姿をさらけ出して


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                                                現世利益を越える喜び (1)
                                                Ⅰテモテ6章2-11節


                              (序)
  時々、テモテ前書を取り上げていますが、この手紙は2世紀初めの、日本ではまだ弥生時代後期でしょうが、今から約1900年前にキリスト教会の教職制度や組織が生まれつつあったのですが、パウロの名で青年テモテに宛てられた牧会書簡です。手紙によって遠隔地にいる信徒を励まし、養い、教会生活を支えようとしたもので、時には幾つかの教会でも回し読みしたようです。

  当時教会には、イエスが話された言葉や行なわれた業の事実から離れ、異なる教えを説く者や自分の体験や主観に基づき、それを誇張して作り話さえ加え、無意味な議論に迷い込む人たちがいたようです。

  それに対し、この手紙は当然ですがキリストの健全な教えに戻るように説いたのです。

  1章では、パウロの個人的な告白を書いて、自分は、以前は神を冒涜する者、迫害する者でしたが、主の憐れみを頂いて、主の恵みが、キリストの信仰と愛と共に溢れるほど与えられたことを語り、「キリスト・イエスは罪人を救うために来て下さったことは確実であり、そのまま受け入れるに値します。その罪人の中で、私は最たる者です」(私は罪人の頭です)という有名な言葉を述べて、「しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした」と綴っています。

  パウロは罪人の頭だと、自分の破れた姿を青年テモテの前に曝け出し、――息子や娘の前で父親や母親が青年時代の破れた姿を曝け出すでしょうか。しかし彼は父ではありませんがテモテの前でそれを曝け出して、――こんな者をも神は憐れんで、豊かにお用い下さる方だと語って、誰しも困難に遭うと気弱になったり落ち込みますが、彼を励ましたのです。

  18節以下で、「わたしの子テモテ、……雄々しく戦いなさい、信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました」と、警告を交えながら励ましています。正しい良心。教会からそれがなくなったら掃き捨てられるでしょう。

  そして2章から6章に掛けて、私たちは平穏で落ち着いた生活をどう送るべきか。男たちの在り方、女たちの生き方、また当時芽生えつつあった教会の監督たる者の在り方、奉仕者の資格や品位、テモテに対する個人的な勧告、教会の老人や青年たち、高齢の婦人たちにどう接するべきか、やもめ制度、長老の在り方、奴隷の人たちへの言葉などが次々語られていました。

          (つづく)

                                                    2015年8月23日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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